忘れがちな社会とのつながり

 

自助グループの働きと成り立ちの基本的要素について書いたが、ここで自助グループと社会のつながりを、特にサポートグループ[i]との違いから、それぞれの基本的要素とのかかわりで整理しておきたい。自助グループは「自助」という言葉のイメージから[ii]、自分のことだけにかかわる「内向きの会」[iii]のように誤解されていると思うからである。

 まず、「わかちあい」であるが[iv]、サポートグループの場合、その場にいない当事者について思いを馳(は)せることはないだろう。サポートグループに招かれる遺族は、いわば「お客さん」だ。「お客さん」が、その場に招かれていない人について考えることはない。自助グループでは、その場に来ることができなかった人、あるいは、まだ「わかちあい」があることを知らない人にも声が届くように、メンバーの体験談を広報紙に載せたりする。「わかちあい」は、外にも開いているのである。

 「ひとりだち」[v]は、サポートグループの場合は、自分の生活がなんとかできるようになれば、それで良しとなるだろう。しかし、自助グループは、私生活での「ひとりだち」だけではなく、社会参加を通しての自立も目指している。たとえば、自助グループが取り組む課題について、(自助グループの代表者を排除したうえで)専門家や支援者、行政機関の担当者が、当事者に代わる者として(代弁者として)社会的に発言したり、行政の審議会等に参加したりして、政策の策定や実施に関与することはよく見られる[vi]。これは当事者が、専門家や支援者と対等な立場で、行政機関等に対して影響力を行使する資格がないとみなされているということで、当事者の社会的な「ひとりだち」が阻(はば)まれている状態だといえる[vii]。この状況を変え、当事者が市民社会を主体的につくっていく市民となる過程も「ひとりだち」とみなすべきだろう。

 「ときはなち」[viii]では、社会とのかかわりは必須だ。社会からの偏見や差別を変えていかなければいけない。サポートグループ、特に行政機関が運営しているグループでは、このようなことはほとんど不可能だろう。

 なりたちの基本的要素である「体験の共通性」[ix]については、それは「まだ見ぬ仲間」にまで広がっていく。これはサポートグループでは、ほとんど考えられないだろう。「サポートグループ」に集まる人々は、みずからを「サポート」が必要な人としてとらえている。問われれば、「自分のことで、せいいっぱいなのに、他の人のことまで考える余裕はない」と答えるかもしれない。

 「活動の自発性」[x]は、グループに集う人たちが、グループのなかだけにと留(とど)まることを許さないだろう。広い社会のなかで孤立している自死遺族が気づくように広報活動を行い[xi]、行政に働きかけ、差別の解消にむけて働きかける活動が続くだろう。サポートグループでは、このような活動は弱いと思われる[xii]

 「活動の継続性」[xiii]は、それを実現するために、社会とのつながりは不可欠だ。グループが社会とつながっていなければ、新しいメンバーも加わることなく、やがて活動は停滞し、グループは自然解消となるだろう。

 自助グループと社会とのつながりの重要性は、自助グループにたどりついたばかりの遺族には理解しにくいかもしれない。しかし、その遺族が、自助グループに助けられたのは、グループが社会とつながっていたからこそである。古いメンバーは、新しいメンバーに、それをしっかりと伝えていく必要がある。

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[i]  サポートグループの違い

[ii]  自助とは「他人に依存せず.自らの力で自分の向上や発展、生活や周囲の問題の解消・解決を果たしていくこと」(藤村, 1999, p. 639)であるから、「自助グループ」とは矛盾を含んだ言葉ではある。このことは「自助グループ」の言葉を生み出したアメリカでも違和感を覚える人がいるようで、米国の研究者は次のように述べている。「自助という言葉は、ある意味で不正確である。なぜならこのグループの重要な特徴として、人々はそこで助け合っているからである。『自助』という言葉は、グループが互いに支え合っている雰囲気を表現しておらず、その代わりに厳しい個人主義の精神を提示している」(Humphreys & Rappaport, 1994, p. 218).

[iii]  グループの「内向き」については「自助グループのはたらきの基本的要素1:わかちあい」で述べている。

[iv]  自助グループのはたらきの基本的要素1:わかちあい

[v]  自助グループのはたらきの基本的要素2:ひとりだち

[vi]  具体的には、自殺対策基本法、第21条には「自殺者の親族等の支援」が定められ、「国及び地方公共団体は、自殺又は自殺未遂が自殺者又は自殺未遂者の親族等に及ぼす深刻な心理的影響が緩和されるよう、当該親族等への適切な支援を行うために必要な施策を講ずるものとする」とある。ならば、その「親族等」が、この施策の策定や実施に当事者として関与することが期待されるはずなのだが、自治体によっては、それが行なわれていない。当事者ではなく、専門家や支援者が、当事者の代弁者として参加すれば良いとされている。

[vii]  伊藤(1996)は、社会福祉において利用者の参加が必要な理由を次の4つにまとめている。第1に、それが利用者の権利であること。第2に、それが「公正な手続き」の保障のために必要だということ。第3に、その参加が利用者にとっても、主体性の確立など「積極的な意味」をもつこと。第4に、それが「福祉サービスの質を高め、よりよいサービスを提供する」ことである(pp. 52-54)。特に最後の点に注目すると、「サービスの供給や決定過程への利用者や住民を参加させ、その意見を聞くことで、そこから情報を得たり、行政の側の恣意的な裁量権の行使や独断を事前にチェックすることが可能となる。ただ . . . サービスの立案、決定そのものが複雑な行為であり、一般市民や利用者は、適切な訓練を欠いているし、必ずしも適切な判断をするとはかぎらないこと、利用者や住民の参加を導入すれば、不可避的に決定が長引くこととなり、事態に迅速に対応することができなくなることなどの批判が加えられている。もっとも、こうした批判に対しては、行政庁の判断が適切で、事態に迅速に対応できるとは必ずしもいえないこと、住民やサービスの利用者も何らかの援助と訓練があれば、適切な判断が可能であり、そうした公的な援助制度を整えることが、まず必要であるという反批判がある」(p. 54)。この伊藤(1996)のまとめには、参加する利用者が個人か、それとも団体の代表者かという区別が欠落している。自死遺族の自助グループでいえば、全国自死遺族連絡会のような全国的ネットワークとつながっており、グループの代表者は、孤立した利用者とは異なり、ネットワークを通じて多くの情報や知識を得ている。したがって、サービスの質的向上のためにも、利用者参加は必須であろう。

[viii]  自助グループのはたらきの基本的要素3ときはなち

[ix]  自助グループのなりたちの基本的要素1:体の共通性

[x]  自助グループのなりたちの基本的要素2:活動の自発性

[xi]  広報の大切さとマスコミへの対応

[xii]  Feigelman(2017)は、日米の「サポートグループ」のファッシリテーターを対象に調査を行っている。彼らのいう「サポートグループ」は、専門家が行うグループと自助グループを区別せず、自死遺族が助け合うグループをすべて含んでいた。調査は、日米の「サポートグループ」、それぞれ5359団体から得られたとしているが、米国の59団体のうち61%36団体)は当事者主導のものであり、残りは専門家主導あるいは専門家と当事者が合同で運営しているものだった。一方、この調査では日本の「サポートグループ」では、ファッシリテーターが遺族であるかどうかは質問しなかったという。この調査の興味深い点は、日本の「サポートグループ」は社会を変えていくことを重視していないとの結果を出していたことである。全国自死遺族連絡会は、自死遺族への差別解消のために社会にたえず働きかけているが、その代表である田中幸子氏によれば、彼女の知る限り、日本の自助グループは、この調査への参加の依頼は受けていないという。とすれば、この研究に参加した日本の研究者は、本書でいう「サポートグループ」、すなわち専門家や行政、ボランティア主導のグループが多かったと考えられる。つまり本書でいう「サポートグループ」は、社会を変えていこうという志向が弱いことが示唆されているように思われる。

[xiii]  自助グループのなりたちの基本的要素3:活動の継続性

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