自助グループのはたらきの基本的要素3:ときはなち

 

「ときはなち」は、「部落解放運動」や「障害者解放運動」という言葉のなかで使われている「解放」を和語で表現したものである。「解放」ではなく、「ときはなち」と表現することで、何かに縛られた状態から自由に解き放たれるというイメージが鮮明になると思う[i]

自助グループに集う自死遺族のかたたちに「ときはなち」の話をしたとき、「遺族に『ときはなち』なんてありますかね」と言われたことがある。愛する者を自死で喪った悲しみにある自分には、たとえ「わかちあい」をしたとしても、その悲しみからは「解き放たれる」ことはないという意味だったと思う。

しかし、それは一つには「悲しみ」を「抑うつ」と同様に考え、自分を圧迫するものとして「悲しみ」をとらえていたからかもしれない。「悲しみ」を「愛しさ」と理解すれば[ii]、違った風景が見えてくるはずだ。

別のところで「『遺族』とは、遺族ではない人が、そう呼んでいるだけの名前にすぎない」と書いた[iii]。遺族と呼ばれる人々は、家族のだれかを自死で亡くしたことは自覚しているが、亡くなった人を偲ぶときには、自分が「自死遺族である」とは思わないはずだ。「自死遺族である」と思うのは、そうではない人々との対比で自分たちのことを考えるときだけである。

さらにいえば、自死遺族の自助グループが、この日本に生まれるまで、つまり、ついこのあいだまで、この国で「私は自死遺族です」と名乗る人は、ほとんど誰もいなかった。つまり「自死遺族」とは、他人から呼ばれる呼称ではあっても、自分を表現する言葉ではなかった。これは言い換えれば、「自死遺族」について、たとえば自死遺族がどういう人で、何を考え、どういう生き方をして、どんな生活をしている人なのかは、他人がすべて勝手に(想像で)決めていたということである。

イメージ的にいえば、社会のなかに自死遺族という「人の形をした穴」が、すでにできあがっている。家族のなかで自ら死を選んだ人がいて、そこに遺された家族がいて、その家族はこういう感じなのだろうと多くの人々が空想して作りあげた「人の形をした穴」である。多くの人は、それを遠くから見ていて、その「穴」の形の真実性を疑いもしない。しかし、そのうちの数人が、突然、家族を自死で喪う。自分自身がいきなり自死遺族になる。すると、こんどは自分が、その「人の形をした穴」に入らなければならなくなる。遠くから見ているうちは「穴」は正当なものだと思われたが、いざ自分が入ってみると窮屈でしかたがない。とはいえ、「私には合わない」と拒否すると、「遺族らしくない」「自死で亡くしたのに」と後ろ指をさされるか、あるいは、さされるかもしれないと不安になる。

いや、それでも、その「人の形をした穴」は、これまでは大きく柔らかいものだったように思う。中に入ってもある程度、身体を動かせたし、手足を伸ばせば、「穴」は広くなったりした。その「穴」が硬くなり、より締め付ける性格になったのが、「グリーフケア」が現れ、悲嘆についての理論が世間に広がってきてからだ。日本の遺族が全く知らないところで生み出された「グリーフケア」や悲嘆の理論が、死者を弔う文化も、死別に関する価値観も異なる海外から入ってきて、自死遺族とはこういうものだ、遺族はこのように悲しむのだと決めつけていく。精神医学や心理学などの科学の装いのもと、悲しみ方に一定の「標準」が定められ、悲しみは「正常な悲嘆」と「異常な悲嘆」に分けられる[iv]。たとえば、その「標準」(半年から1[v])に比べて長い期間、悲しんでいると「異常」だとされるようになった。あるいは、悲しみを言葉にして表現しなければ、それもまた危険な状態だとされてしまう[vi]。こうして、自死遺族が入るべき「穴」は、「正常」と「異常」を分ける境界線に囲まれ、そこから少しでも外れると「治療」と呼ばれる圧力がかかる。このような「専門家」から一方的に押し付けられた枠組みを打ち破ることも、自死遺族の「ときはなち」が目指すところなのである[vii]

自死遺族への不当な、差別的な社会的扱いもまた「ときはなち」が向かうところであるし[viii]、自分で自分を卑下し、貶(おとし)める気持ちからの解放も、これに関連することだろう[ix]。これについてはすでに述べたので繰り返さない。

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[i]  「解放」という言葉を使わなかった別の理由としては、「解放運動」という言葉が、すでに歴史のなかでしか使われなくなったという認識もある。たとえば「女性解放運動」という言葉に、まっさきに思い浮かぶのは、明治や大正期の市民運動ではないだろうか。また「解放運動」がもっぱら差別的、抑圧的な社会を変えていくということに重きを置いていたことも、たとえば依存症者から始まった自助グループとは大きく異なる。たとえば、アルコール依存症者の自助グループであるアルコホーリクス・アノニマスは、そのありかたを決める「12の伝統」を公示しているが、その10番目の伝統は「アルコホーリクス・アノニマスは、外部の問題に意見を持たない」(AA日本ゼネラルサービス, 2022a)、「どのAAグループもメンバーも、AAを巻き込むような形で、外部の論争に対して意見を述べてはならない。特に政治や禁酒運動、宗教の宗派的問題には立ち入らない」(AA日本ゼネラルサービス, 2022b)というものである。しかし、社会のなかで苦しんでいる多くの依存症者に働きかけることで、結果的に社会を変えていくことができると考えられる。

[ii]  悲しみは愛しさ

[iii]  遺族という言葉は、遺族ではない人たちのためにある

[iv]  これについては「遺族が生き方を作りあげていく」で述べたが、再び資料を引用すると、たとえば、張・北島(2003)は「正常な悲嘆か病的な悲嘆かという区別を明確につけることは困難を伴います。しかし、病的悲嘆と呼ばれる状態があることは古くから指摘されてきました。たとえば、遷延化した悲嘆 . . .、悲嘆の欠落 . . . 、悲嘆の抑圧 . . . 、重症悲嘆 . . . 、非定型悲嘆 . . . 、などが病的悲嘆に含まれます」(p. 43)という。これは読みようによっては、悲しみは、長引いてもダメ、なくてもダメ、抑えてもダメ、重くなってもダメ、形が定まらないのもダメ、ということにならないだろうか。この論文は「です、ます」調で書かれ、一般向けの解説であると思われるので、こうした「読みよう」も可能になるはずだ。

[v]  たとえば、張・広瀬(2000)は「病的悲嘆の概念や定義に定まったものはない。しかし、病的悲嘆と考えられるものは、『正常からの逸脱』と簡潔に定義づけできるであろう。その基準となる『正常な悲嘆』については . . . ある程度定まった段階をたどり,半年から1年で回復することが多く、その間はさまざまな症状を伴うことが知られている。したがって、この状態からの逸脱が『病的』となる」(pp. 301-302、下線強調は岡による)という。なお、このような期間を限定して、それを超える悲嘆を病的なものとみなすことは、現代では、科学的にも間違ったこととされている。これについては「グリーフケアのありがちな間違い」で述べた。

[vi]  たとえば清水(2009)は次のように言う。「フロイトを引くまでもなく、重大な喪失体験にとって悲嘆はごく自然な体験であるばかりかむしろ回復プロセスの必要不可欠な要素である。自死をしっかりと悲しみ語ることは自死遺族にとって決定的に重要なことであるにもかかわらず、このことが決して当たり前でない現実がある」(p. 18、下線強調は岡による)。しかし、あえてフロイトを引くなら、フロイトが「『悲哀の仕事』. . . の概念をあきらかに」したのは、1916年の「悲哀とメランコリー」という論文を発表したときのことだ(小此木, 1979, p. 155)。1916年は大正5年であり、いまから実に百年以上前のことであり、当然、多くの誤りがあることは、すでに指摘されている(たとえばDegen, =2003, Eysenck, =1988, 瀬藤ほか, 2004)。とくにRothaupt(2007)は、フロイト以来の西洋の死別の精神医学・心理学の理論を整理した文献研究のなかで、上にあげた清水(2009)のような主張、つまり、しっかりと悲しみを語ることが、遺族にとって決定的に重要だという主張が、すでにいろいろな研究によって否定されているという。すなわち「すべての遺族が、うまく適応した生活を送るためには、ある決まった方法によって悲しむことが必要であるという考え方は、しだいに消えつつある(Rothaupt, 2007, p. 9)」のである。なお上記にあげた清水(2009)の考え方は、自死遺族の支援者の間では主流であったと考えられる。というのも、川野・伊藤(2009)は自殺予防総合対策センター自殺対策支援研究室の「自殺者遺族等へのケア研究」の「目標」として「地域において悲嘆過程に専念できる状況をどのように提供できるのか」(p. 26)という問いをあげていた。

[vii]  ここでは「穴」という比喩を使ったのだが、それが「穴」として感じることができれば、そこから「脱出」する方法も模索することができる。しかし、問題は「穴」を「穴」とは思わず、あるいは気づかず、自分自身が当然もっている制限と考えてしまうことなのである。ここでいえば、悲嘆を「正常」と「異常」に分ける区別は、外から(第三者から)一方的に与えられたものなのだが、その区別を疑うことなく当たり前のこととして受けいれてしまう。牧野(2007)は、このことを「権力としての心理学」と呼び、「重要なのは、心理学理論は私たちに取り入れられる(内在化)とき、自己自身についての考えや知覚に直接的な影響を及ぼすために、私たちはそれらを個人の外部から取り入れたものというよりも、自分自身の考えだとみなしてしまう(同一化)という点である (p. 92)」。しかし、こうした理論は、単に一部の心理学者、精神医学者が言っていることであるとして、自助グループは、それに代わる考え方を出していく。自助グループが出す考え方は、当事者をいっそう力づけるものであり、Borkman(1999)は、それを「ときはなちに向かう考え方」岡・Borkman, 2011で詳しく説明している)と呼んでいる。

[viii]  自死遺族への差別について

[ix]  内なる差別

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