自助グループのはたらきの基本的要素1:わかちあい

 

自助グループの一番の特徴は「わかちあい」である。社会的に不利な立場に置かれた人々が団結して自分たちの状況を良くしていこうという動きは、人類の歴史を考えれば、大昔からあったことにちがいない。それらの自助グループの大きな違いが、この「わかちあい」なのである。これは sharing(シェアリング)という英語からの翻訳語だが、誰が考えたのか[i]、日本語にしっくりとなじんていて見事な翻訳のセンスだと思う[ii]Shareつまり「分けて、与える、または、受ける」ことだが、英語のshareには「共通して持つ」という意味もある[iii]。悲しみを「shareシェア」するという「わかちあい」には、そこにいる人々が共通して同じ体験や、同じ気持ちを持っているという意味があるわけだ。自助グループに集う自死遺族たちが、繰り返して「遺族ではない人が、わかちあいに加わることができない」と主張していることも、「わかちあい」を英語の原語になおしてみれば、納得できそうだ。

 この「わかちあい」という方法を世界で最初に発明したのは[iv]、アメリカのアルコール依存症の人たちで、1935年のことだったとされている[v]。そして23年後(1958年)には、それに続く形で日本のアルコール依存症の人たちが自助グループをつくる[vi]。したがって「わかちあい」を基礎とした自助グループは、日本でもすでに60年以上の歴史がある。

 生活に支障がある状況が生じていて、その状況が似ている人々が自主的に集まり問題解決をはかろうとする集団を当事者団体と呼ぶなら、冒頭に述べたようにずいぶん以前から日本にも存在していた。たとえば、盲人の全国的な当事者組織は明治42年(1909年)には発足しているし[vii]、ハンセン病の施設では大正15年(1926年)には患者自治会も成立している[viii]。これらの集団でも集まれば、互いの体験などを話し合い、問題関係の道を探すということが行われていただろうと想像できるのだが、これらの当事者集団で「わかちあい」が主たる活動として行われていたかというと、そうでは無かったと思われる。このような集団の目的は、社会や自分たちの環境を変えることであった。いわば外向きの集団だったわけだ。

 それに対して、先述したアルコール依存症者の自助グループは、まずは飲酒を止められない自分たちを変えようとした。自分たちを変えることに重きを置くグループ(内向きの集団)として、当事者が始めた心理療法の一種だと理解された時期もあった[ix]。自死遺族の自助グループについての行政の理解も、これに近いのではないだろうか[x]。そこでは、遺族の心理的な問題のみを扱う(特にグリーフケアを中核とした)心理的なグループ・カウンセリングの場として自助グループをとらえているのである。

このように自助グループを「内向き」と「外向き」に分け、前者を個人の心理的な問題や、内面、生活に焦点を当てたもの、後者を社会の矛盾や差別解消に向けて動くものとする考え方は、自助グループ研究の初期のころにはあったが[xi]、最近では見られない。それは、たとえば典型的な内向きのグループと見られていたアルコール依存症の自助グループも、同じように依存症で苦しんでいるものの、グループに加わっていない人々に積極的に働きかけようとしている[xii]。グループの外にいる人々に焦点を当てているのだから、それだけでも外向きなのである。

そうではなく、つまり「内向き」と「外向き」が別々にあるのではなくて、それが同時に行なわれ、しかも同時に行うことによってその働きが増すというのが、自助グループの原理なのである[xiii]。非常にわかりやすい例をあげれば、誰かに教えることによって自分の理解がいっそう深まるという経験である[xiv]。ここで、誰かに教えるというのは「外向き」であり、自分がいっそう深く学ぶのは「内向き」である。遺族が孤立しているというとき、孤立している遺族に手を差し伸べるのは「外向き」であるが、孤立していた遺族とつながることによって、いっそう孤立感が少なくなるのは自分自身であり、その意味では「内向き」なのである。

よく自助グループの説明には「メンバーは対等です」と書かれてあるが、なぜ対等なのかという理由までは書かれていないことが多い。メンバーが対等である理由の一つは「助けることによって助けられる」という原理があるからだ[xv]。上に述べたように、孤立している人に手を差し伸べることは、自分の孤立を少なくすることであり、教えることは、一方では学ぶことであるから、対等なのである。

「わかちあい」に当事者ではない人が加われない理由を冒頭では、シェアという言葉の意味から説明したが、さらに、この点からも考えられる。すなわち遺族でなければ「助けることによって助けられる」という体験は生まれない。その結果、どんなにへりくだった態度をとろうとも、対等な立場で「わかちあい」の場には入っていけないのである。

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[i]  「わかちあい」という言葉は、カトリックでは「霊的善の分かち合い」として重要なものとして使われている聖パウロ女子修道会, 2007)。日本のアルコホーリクス・アノニマスは、アメリカから来た、自分自身も依存症者であった神父によって広がったというから(AA日本20年の歩み編さん委員会, 1995)、この「わかちあい」はカトリックの用語だったのかもしれない。

[ii]  学問的にも非常に深い問題が隠されている。つまり自助グループのアイデアは英語圏から来たものだが、そのアイデアが日本語を日常語とする人々に十分に浸透するためには、やはり自然な日本語に訳される必要がある。これは日常生活にかかわる学問の言葉すべてに言えることだ。第二次世界大戦後、戦時中の統制が解かれ、一気に大量の学問の言葉が海外から入ってきたとき、当時の国語学者は以下のように書いている。「原語であれ、譯語であれ、それは學問のことばであるとともに、日本の學問のことばでなければならない。いな、そのやうに、われわれが、學問そのものを、そだてなければならない。これは、學問が、學問としてわれわれの生活のなかに、とけこまねばならぬことであり、それには、また、學問のことばが、できるだけその純粹なかたちをたもちつつ、われわれの生活において、かたられるやうにならなければならない。. . . 表現技巧のうへから、原語の感じをうつしださうとするならば、なにか固有傳來の日本語たる、やまとことばのうちに、しかるべきものを求めて、これにくふうを加へることが、のぞましいであろう」亀井(1948, p. 5)。「わかちあい」とは、美しいやまとことばだと思う。私もまた学問の言葉は、人々の生活を変えることを期待するのなら、やはり大和言葉で表現するべきだと考えている。

[iii]  Weblio英和辞典・和英辞典 https://ejje.weblio.jp/content/share. 日本で最初に自助グループの概念を日本語で紹介したのは、おそらく村山(1979)である。そこで紹介された自助グループの定義のひとつは Levy(1976) によるものだが、そこには「人生経験や問題を共通にしている人たちで構成されている(村山, 1979, p. 13)のが自助グループだとある。「共通にしている」と約された英語の原語はshareである。つまり「人生経験や問題をわかちあう人たちで構成されている」という訳も可能だった。どちらの訳も間違いではないが、読んだときのニュアンスは、かなり違う。

[iv]  「発明」という、やや不自然に聞こえる言葉をここで使ったのは、自助グループの研究の世界的権威であるBorkman(1999)の、自助グループを社会技術(social technology)の一つだとする理解にしたがったからである。

[v]  すなわち、世界で最初の自助グループであるアルコホーリクス・アノニマスが、この年に生まれた。アルコホーリクス・アノニマスの歴史については、Kurtz(=2020)が詳しい。

[vi]  それが東京断酒新生会である(東京断酒新生会, 2013

[vii]  たとえば、盲人の全国組織は明治42年(1909年)に盲人自身によって結成されていた(横田, 1972, pp. 36-37)。盲人の組織の歴史的起源をたどれば、15世紀の初めには成立していたという盲人琵琶法師の座(当道座)がある(加藤, 1974, p. 137)。当事者運動というと、なんでも欧米のほうが進んでいると思いがちな人も多いので、自死遺族の問題とは直接関係はないが、書いておく。

[viii]  全国ハンセン氏病患者協議会(2002), p. 21. それ以前の例としては、行政の隔離政策が契機になったものの、明治20年(1887年)に開かれ、ハンセン病患者の自発的な参加や患者の自治が認められた例として、草津温泉近辺に作られた湯の沢部落がある(森ほか, 2003a, 2003b

[ix]  iiで示したように、自助グループを日本語で最初に紹介したのは村山(1979)であったが、そこでは自助グループは「セルフ・ヘルプ・カウンセリング」というグループ・カウンセリングの実践の場として紹介されている。 また自助グループの研究の初期の本として多く読まれたGartner(1977)には、自助グループと通常の心理療法との違いを詳細に比較した表(Hurvitz, 1977)を付録として含んでいる。なおGartner(1977)は和訳が出版されたが、Hurvitz(1977)の表はそこには含まれていないGartner, =1985

[x] 助グループの定義について」で、行政がとらえる自死遺族の「自助グループ」の定義について紹介している。

[xi]  内向き、外向きのグループをinner-focused groups, outer-focused groupsと分類した研究もあったが、近年は見られない。Katz (1976), p. 39.

[xii] たとえば、アルコール依存症者の自助グループである断酒会には「断酒の誓い」という言葉があるが(全日本断酒連盟, 2002-2022、その誓いの最後の文には「私たちは断酒の歓びを、酒害に悩む人たちに伝えます」とある。

[xiii]  (1985)で、これについては例をモデルとして提示している。

[xiv]  小林(2020).

[xv]  この原理は「援助者治療原理」とか「ヘルパー・セラピー原則」とか訳されている。つまり援助者自身が治療されるという仕組みがあるというわけだ。自助グループの初期の研究のなかでは、もっとも重要とされている概念だった。日本語に訳されている詳しい説明としては、Gartner (=1985pp. 117-125がある。

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