自助グループの研究の中核的概念2:体験的知識

 

自助グループの研究の中核にある3つの概念のうち、第2のものは「体験的知識」だろう。これは、アメリカの社会学者、トマシーナ・ボークマンが1976年に、自助グループが持つ知識の形として提唱したものだ[i]

「体験的知識」という概念が、自助グループの市民運動に与えた影響は大きい。なぜなら、それまでは「知識」は、すべて専門的な大学等で勉強をし、資格をもった専門家(たとえば、医師)のみが独占していると考えられ、当事者は、知識のない「素人」として十分な発言権がないとされていたからだ。

それに対しては、いまでは多くの人が次のように反論する。当事者には直接的な体験がある。しかし、専門家にはそれがない。体験から学ぶことは多くあることは誰でも知っている。だから、体験のある当事者にも知識がある。何も知らない素人と、直接的な体験があり、そこからの知識がある当事者をいっしょにしてはいけない。当事者も知識のある専門家なのだ、と。しかし、これは後に述べる2つの理由により、やや単純すぎる考え方なのだ。

第一に、多くの人は「体験的知識」の所有者に気づいていない。「体験的知識」を持つのは、当事者個人ではない。自助グループなのである。自助グループを通じて、多くの当事者が出会う。そこで体験をわかちあう。そこから「体験的知識」が徐々に蓄積され、形成されていく。ある個人が特定の体験をすれば、すぐに「体験的知識」が得られると言っているのではない。

ここでいう「体験的知識」は、医師などの「専門的知識」に匹敵するほどの影響力をもつ。医師たちは、互いの知見を批判しあい、非常に多くの議論を経て、その「専門的知識」を生み出していく。それに相応するほどの「知識」が、一個人が当事者として何かを体験するだけで即座に得られるという単純な話ではないのである。だいたい当事者は、共通の体験をもつと言われるが、詳しく見ていくと、その個々の事情は大きく異なる。そのため、たとえば、当事者Aさんが自分の体験だけで得た知識が、別の当事者Bさんに役立つことは、あったとしても限られるのである。

当事者は、それぞれが違う。だからこそ、当事者の集まりである自助グループが必要になる。ひとりひとりの個人がもつ体験は限られていて、そこから得られる知識も限界がある。だからこそ、自助グループや、そのわかちあいの活動を通して、多くの人の多くの体験が重なり合い、ときにはぶつかりながら価値ある「体験的知識」を作り上げる必要がある。

逆にいえば、生まれたばかりの自助グループには「体験的知識」は蓄積されていない。当然のことながら、どこかの外国で出された論文や書籍を読んで得られる知識ではない。すでに活動を始めて何年もたっている他の自助グループと交流し、地道にわかちあいを続けて、その「体験的知識」を積み上げていくしかないのである。大都市の暮らしと、地方の市町村との暮らしは、大きく異なることがあるため、他の地域の自助グループの「体験的知識」が役立つとはかどうかもわからない。

専門家や行政担当者のなかには、当事者の「体験的知識」の重要性を認めつつも、それでも専門家の「専門的知識」には劣るだろうと考えている人が多い。その場合、「体験的知識」を当事者の個人的体験から得られた「知識」だと誤解しているのである。そのような関係者に向かいあうときには、当事者の「体験的知識」は、自助グループに集う多くの当事者の体験から、時間をかけて形成されてきたものだと伝えていく必要があるだろう。

第二に、多くの人は「体験的知識」は「専門的知識」と似たような形だと信じているが、それは間違っている。たとえば「自死遺族の80%は、◯◯で苦しんでいる」とか、そういう情報は、たしかに自死遺族の個々人の体験に基づいたデータだろうし、自死遺族の自助グループが行うアンケート調査等によっても得られるだろう。しかし、これは自助グループ研究でいう「体験的知識」ではない。

「専門的知識」は、書籍のなかで体系的に提示されていて、ひとつひとつの知識は、広く多くの人に応用できるように個別の事情は取り除かれた形、すなわち抽象的で、かつ統計的な表現になっている。上の例を使えば、「自死遺族の80%は、◯◯で苦しんでいる」というようなものである。

それに対して「体験的知識」は「体験談的知識」と言い換えてもいいもので、具体的で、事例的なものだ。たとえば、Aさんが「私は、これこれ、こういうことを体験した」と、自助グループに伝えれば、そこで知識が形成され始める。それを受け取る人は、Aさんの人柄や話しぶり、それが話されたときのグループの雰囲気や、グループの他のメンバーの反応とともに、それを記憶する。そして、それがグループのメンバーの生き方に影響を与えるのである。

私は自死遺族のわかちあいの場に出たことはないのだが[ii]、その外で、遺族である田中さんが、「悲しみをどう避(よ)けるか」を私に語ってくれたことがある。「ああ、(悲しみが)来るなっと、わかるときがある。そのときは、サッと、こんなふうに避(よ)けるの」と、笑いながら、ドッジボールのボールを避けるように身体をねじって教えてくれた。それが、どういうことなのか、私には正直いってよくわからないのだが、きっと、わかちあいの場では、より詳しい説明があるのだろう。だからといって誰もが、そんなことができるとか、あるいは、そうすべきとか、田中さんは言っていない。体験談とは、そういうもので、他の人に何かを押し付けるものではないのである。

別の例を出すと、私は、以前、単身者が多いアルコール依存症者の自助グループに出席していた。そのとき、以下のような会話がグループで行われた。

「夜、一人でいるとね、どうしても酒が飲みたくなって困りました。それで、どうしても我慢ができなくなって、冷蔵庫にある牛乳を一気飲みしたんですよ。」

「ああ、それ、私もやりました!」

「それで、なんとか(酒を)我慢できたんですよ、あぶなかったなぁ。」

「お腹、こわしませんでしたか?」

「いやいや、たいへんでしたよ。」

こういう会話を大笑いしながら、数人の男性たちが行うのである。そこで得られた「体験的知識」は「夜に酒を飲みたくなったら、酒の代わりに、牛乳を一気飲みすれば良い」という教訓だろうか。おそらく、そうではない。

その場にいたアルコール依存症者たちが知り得たことは、夜に一人でいると酒の誘惑に負けそうになるのは自分だけではないこと。別々に暮らしていても、ともに断酒する仲間がいること。酒を飲みたいという気持ちをまぎらわすために、冷蔵庫の牛乳を一気に飲み、腹をこわした仲間がいたこと。その様子を笑いながら仲間と語り合った記憶が、暗く冷たい絶望的な気分を慰め、次の日からの断酒継続の力になっていくのである。

 体験的知識は「本や図書館、コンピュータのファイルに保管される情報というより、『気づき』なのだ」と、体験的知識の概念を提唱したボークマンも述べている[iii]。上の例でいえば、「飲酒の欲求との闘いは孤独なものではなく、理解しあえる仲間とともに自分は生きている」という気づき、「家族が自死したあと何年たっても、深い悲しみは突然おそってくる。しかし、それをうまく避ける方法もある」と知ること。それが体験的知識なのである。

 体験的知識は、いわば結晶化されて「悲しみは愛しさ」[iv]と表現されることもある。また、専門的知識と融合して、当事者からの視点でまとめられたガイドブック[v]として世に出ることもある。体験的知識は、自助グループが生み出す最大の財産であり、自助グループのメンバーには「ときはなちに向かう考え方」[vi]となるものなのである。

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[i]  Borkman(1976). わかりやすい読み物としては横浜市女性協会・横浜女性フォーラム(2000)がある。

[ii]  わかちあいのルール1:当事者だけで

[iii]  Borkman(1999), p. 36.

[iv]  悲しみは愛しさ

[v]  全国自死遺族連絡会・自死遺族等の権利保護研究会(2018)は、主に法律の専門家による専門的知識と自死遺族の体験的知識が融合されて作成された手引書である。

[vi]  自助グループのはたらきの基本的要素3:ときはなち7をみよ。

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