自助グループの自助グループ:大事なことはネットにはない

 

自助グループは、メンバーが個々人でかかえている状況についてわかちあう場であるが、自助グループが、自助グループとしてかかえている難しさや組織的な課題などをわかちあう場もつくられている。それが「自助グループの自助グループ」だ[i]

 自助グループの運営者や世話人は、「池のなかの島」状態にあることが多く[ii]、いろいろなことを一人でかかえがちだ。そういった孤独で孤立した状況を乗り越えるために、異なる自助グループの運営者や世話人が(個人の問題ではなく)グループのことを「わかちあう」。そのために「自助グループの自助グループ」がある。

「自助グループの自助グループ」は、そういう名称で呼ばれていなくても、グループどうしの意見交換会として、複数の自助グループがつながっているところでは、たいてい定期的に行われている。自助グループの研究者としては、とても興味深い場であり、許されれば、そのような「自助グループの自助グループ」に私は参加してきた。そこで気づいたことは多くあるが、まだ、このような集まりに参加したことがない自助グループの運営者には何より伝えたいことが一つある。

それは「大事なことはネットに書いていない」ということだ。いまやインターネットは誰にでも使える状態になっており、あらゆる情報がネット上にあると信じられている。その情報をもとにした人工知能が無料で使えるようにもなっており、どんなことにも答えてくれる仕組みになっているという。

しかし、「自助グループの自助グループ」に参加すれば、ネット上にはない多くのことが学べる。その理由としては、以下の3つをあげておきたい。

第一に、自助グループがもつさまざまな「戦略」や「戦略」の基礎にある「知恵」は、ネット上にはない。「戦略」とは大げさな表現のように聞こえるが、たとえば、ある問題についての行政の対応をどのように変えさせたらいいのか、複数の自助グループが議論していた場面に立ち会ったことがある。その考え抜かれた、さまざまな「戦略」に驚いた私は、それを記録して整理して、ネットで公開すれば、同じ問題で悩んでいる多くの人たちの助けになるだろうと言ったが、その発言は一笑に付された。「そんなことをされたら、こっちの手の内を知らせるようなもの。教えてしまえば、相手は対策をしてくる。だから、これは絶対、会のなかだけで守る秘密」だという。そして、それを私にも論文等では決して書かないようにと念を押された。

行政機関とどう向かい合うか、基金団体からどう資金提供を受けるか、補助金を申請するときに何を書くか、マスコミや政治家・議員との関係をどうするかなど、活動が長い自助グループは、さまざまなノウハウや戦略を、その経験から持っている。しかし、それをネットで公開することは無い。なぜなら、それを公開しても自分たちに有利になることはひとつもないからだ。いや、それどころか、それを「敵」に知られては、かえって不利になると考えられている。

新しく活動を始めた自助グループが、そのような「戦略」を学びたいと思えば、「自助グループの自助グループ」に行き、活動歴が長い自助グループのメンバーからの信頼を得たのち、直接、口頭で聞くしかない。どこかの本に書いてあったり、ネット上で記事になっていることは、ほとんどないからである。

2に自助グループのネット上の情報は、自助グループの広報活動の一環として生み出されたものがほとんどで、いわばPR的な内容であり、そのため良いことばかりが並べられていて、ネガティブな情報は極めて少ない。これも当然のことだ。会社のホームページに、自社の問題点や欠点について述べたものがないのと同様で、自分たちの社会的イメージを損なうことを、あえてネット上に出すはずがないのである。

たとえば、自助グループの運営者どうしで対立が起こり、内部分裂が起きるという事態は決して珍しいことではないが、そのことが、ネットに出てくることは、まずない。なぜなら対立の根源には、たいてい極めてプライベートな状況がからんでいて不特定多数の人々に公開できるようなものではないからだ。したがってグループの分裂の兆しに悩む人は、いくらネットを探しても役に立つ情報は得られない。逆に、仲の良いグループの様子ばかりを読まされ(それはグループの広報用の文章で、誇張され、美化されている部分もかなりあるのだが)、「自分たちのグループだけ、なぜうまくいかないのか」と意気消沈してしまう。

自分たちのグループの問題の解決に役だつ情報や知恵を得たいのなら、やはり「自助グループの自助グループ」に参加し、同じような問題を経験したグループのメンバーに会い、直接聞いてみるしかない。そのような経験は、どこにも書いていないし、論文の形になっていることも極めて稀だからだ[iii]

3に、ネット上の情報は、一部には画像や動画が含まれていても、基本的に文字情報でしかない。そのため表現できることは極めて限られている。たとえば、ある自助グループには、とても多く人が集まり、活動も活発で、わかちあいも充実している。その「秘密」を知ろうとして、ネット上に情報を探しても、おそらく何も得られないだろう。それは文字や画像で表現できるものではないからだ。

自助グループの自助グループに参加し、目当てとするグループから信頼を得て、実際にそのわかちあいの場の空気にふれることで初めて、さまざまなことがわかる。色調や香りを含めた部屋の様子や、集まった人の表情、とびかう声の調子、中心にいる人々の振る舞い方や、何か思いがけないことが起きたときの対処の方法、そういったことが、一つのセットになって伝わってくる何かがある。それは、ネット上の文字や画像、そして動画であっても、そこからは決して学べないことだ。くどいようだが、大事なことはネットには無い。生きている人との対話によって得るしかないのである。

 

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[i]  自助グループが早くから発展していたドイツでは、この「自助グループの自助グループ」は全体集会と呼ばれていた(, 1986, p. 64)。自助グループの自助グループについては、(2010b, p. 7)で詳しく紹介している。

[ii]  「池のなかの島」で述べた。

[iii]  自助グループの内部分裂について具体的にふれた論文としては、松下(1997)があり、貴重な事例研究となっている。ただしネットからはダウンロードできない形になっている。

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