行政との関係:差別と思う前に

 

別の章[i]で、遺族が自助グループへの支援を行政職員にお願いしたら、その対応がとても悪く、それは自死遺族への差別かもと考えていらっしゃったようなので、必ずしもそうではないのではないかと伝えたことを書いた。

 行政職員の冷淡な態度が自死遺族への差別や偏見の結果であれば、それを是正するのはたいへんだ。職員への人権研修から始めなければいけないのかという話になる。人の意識を変えることは難しい。まして道徳論や生命に関する倫理的な議論も出てくれば、どこから手をつけていいのか、わからないほどだろう。それは、さまざまな差別に反対する市民運動の長い歴史から誰もが感じていることだと思う。

 しかし、その冷淡に見える態度が、新参者の民間団体に対して共通しているものだとしたら、話はずっと簡単になる。実は、行政は、まだ信頼関係ができていない民間団体には距離を置くのが普通あるいは一般的なのだと私は信じている。つまり自死遺族だからそのような態度を取っているわけではなく、どんな(自助グループを含む)民間団体には、一定の警戒心を行政はもっているし、また持つべきなのだ。なぜなら、行政は税金を使って動いているのであり、納税者に対して説明責任がある以上、いろいろな民間団体の間で基本的には中立でなければならない。

とすれば、次の問題は、どうやって行政機関から自分たちのグループへの信頼を得たらいいかということになる。自分たちの活動を取り上げた新聞記事等、マスコミの取材の結果を行政担当者に見せるのは非常に有効だと、遺族のリーダーから聞いたことがある。何度もマメに活動についての連絡をしたり、ときには市会議員等から紹介してもらったりすることも役立つかもしれない。それは他の地域で先行している、他の自死遺族の自助グループからノウハウを学べばいいと思う。

 かなり昔の話であるが、いまでも通じると思うので書いておくと、ヨーロッパのある国で自助グループを行政機関が支援するということになった[ii]。多くの自助グループは支援を申請したが、行政の担当者は、それが「本当の」自助グループかどうか確かめることに苦慮する。申請の際に出された書類だけでは、本当のところはわからないからである。たとえば、特定の病院に通院する患者が、その病院内で互いの体験を話し合うのだが、それは自助グループなのだろうか。その病院は「自助グループだ」と主張するが、実際には病院のプログラムの一環として行われていて、そのグループに活動資金を渡すことは、間接的に病院の収益になってしまう。「それは不正だ」と言いたいところだが、都合の悪いことに、そういう治療の一環として行われるグループ活動を「自助グループ」と呼ぶ文献がないわけではない。それを根拠に主張するとすれば、それは不正な申請だとは断言しにくい。

 他に、ある皮膚疾患の自助グループがあるということで、患者が会合に参加したら、特定の製薬会社のクリームを買わされたという話がある。そのグループの活動を支えているのが、その製薬会社で、メンバーは本当にそのクリームの効果を信じているということだった。これも自助グループだろうか。患者が自発的に集まっているのだから自助グループであるような印象だが、製薬会社の営業に使われている実態を考えれば、純粋な自助グループとは言い難い。こうしたグループを行政が支援することは望ましくない。特定の企業の利益につながるからである。

 自助グループへの支援で最も大切なのは、社会的認可であるという説がある[iii]。その活動が有意義だと社会的に認めてもらうことが、実はもっとも必要な支援だというのである。自助グループは、誰でもいつでも簡単につくることができる。大きな資金は必要ないし、それこそ会則がなくても、発足はネットで宣言できる。それだけに社会的な信用を得ることは難しい。まして行政から支援を得ようとすれば、非常にハードルが高い。しかし、いったん行政から支援を受ければ、それが社会的認可につながる。まさに鶏と卵のような関係なのだ。社会的に認められれば、行政からの支援を受けられる。行政からの支援を受けていることは、社会的に認められたという証拠になる。

 自死遺族のかたで自助グループの代表者として行政職員と話し合ったり交渉したりしたとき、行政職員の態度に、とても嫌な思いをしたという話は、残念ながらよく聞く。そして、遺族は、その行政職員の態度を自死遺族への差別や偏見と結びつけがちであることも、私はなんとなく感じている。しかし、私のような第三者から見ると、それはやや性急であるかもしれないと思う。おそらくは、遺族のかたで、遺族になる前に何らかの民間団体の代表として行政職員に向かいあった経験がある人は少ないのではないか[iv]

 繰り返しになるが、行政は民間団体に対しては中立を保つ必要があり、それだけに民間団体との関係には慎重なのである。それを自死遺族への差別や偏見だと考えてしまうと、非常に壁が厚くなる。そうではなく、信頼を得るための、ひとつのプロセスにすぎないと考えていただきたいというのが、長くさまざまな自助グループにかかわってきた者としての願いでもある。

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[i] それは差別ではないかもしれない

[ii] このあたりは古い論文になるが(1992b)に詳しく述べた。

[iii] Borman & Lieberman (1979), p. 415.

[iv] 難病団体を立ち上げた方で、行政との連携がとても上手な方がいた。いろいろ話を伺うと、病気になる前、市民コーラス団を立ち上げたことがあるという。そのとき広報などで行政の支援を受けている。その経験を患者の自助グループでも活かせたようだった。

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