家族への愛の重なり

 

自死遺族が全国から集まる集会がある。その集会では、講演やシンポジウムのプログラムが終わったあと、夜には懇親会が開かれるのが通例だった。

遺族ばかりが集う懇親会というと、通夜のようなしんみりした雰囲気を読者は想像されるかもしれないが、実際には笑いあり、議論あり、そしてときには涙ありのにぎやかな酒席なのである。

私は、その全国各地からやってきた遺族の人たちと飲んで食べてという会がとても好きで、たいていは誘われたら必ず参加するようにしている。

昨年もその席に出ていたら、北陸の遺族で会を開いていらっしゃるKさんから講演の依頼があった。私は多少酔っていたこともあり、またKさんには遠慮のない言い方ができる関係でもあると思っていたので「Tさんが、その講演会に来てくださるのなら引き受けますよ」などと妙な条件を出していた。

Kさんは母を亡くした娘であり、Tさんは息子を亡くした父だった。Tさんは七十代半ばのかたであり、ちょうど娘のような年のKさんとは話が合うようだった。特にTさんの亡くなった息子さんの一人娘がKさんと同じ名前であり、TさんがKさんの名前を呼ぶときの不思議な温かさを私は感じていた。

私はこのKさんとTさんの会話のやりとりを横で聞き、ときおり私からそこに言葉を挟んでいくというパターンがとても好きであり、そんな機会があればいつも、ゆったりとした心地よさを楽しんでいた。

Kさんは、私からの条件を受けてくださり、Tさんは大きな手術をしたあとにもかかわらず北陸まで来てくださった。こうして私の我が儘が実現し、Kさん、Tさんとお酒の席に出ることができた。

しかし、いよいよその場面になったとき「お疲れになったでしょう」と、Kさんに声をかけられたのは、そこで私は黙ってしまったからだろう。実は、私は自分がどうして遺族の人たちと酒席を囲むことを楽しみにしていたのかと考えてしまっていた。

だいたい私は酒を飲む集まりは、あまり好きではないし、酒を飲むこと自体を楽しむ習慣は全くない。おおぜいで集まり、騒ぐことにも気が乗らないたちである。なのに、どうしてこの場を望んできたのかと一人で考えていた。

私の父は八十すぎに亡くなったが、晩年はアルツハイマーを病み、話すことはできなかった。元気だったのは、Tさんと同じ年齢のころまでだったと思う。またTさんの亡くなった息子さんは、宇宙を愛していた科学者であり、子どものころから天文学者になることが夢であった私には、どこか自分自身に重なるところがある。一方、Kさんは私の妹と一つちがいで、どことなく私の妹と表情が似ている。仲が良かった父と妹の会話を、私が脇で聞いているようなそんな気持ちになっているのかもしれない。

Tさんは、Kさんに向かって「子を亡くした親よりも、親を亡くした子のほうが(辛さが)長い」と嘆くように言う。それは子どものほうが若く、人生に時間があるからだが、そう言われてKさんは、両手で顔を覆い、泣き出してしまう。それだけ聞けば、Tさんは酷な言葉を言っているようだが、Tさんには同じ名前をもつ孫娘とKさんとが重なっており、それは父を自死で亡くした孫娘に対する深い慈しみとも重なっているのである。

遺族の会に集う人たちは、何年たっても亡くなった家族への強い思いを持ち続けている。遺族の会で私が感じるのは、それぞれの遺族がもつ深い愛情なのである。その愛情は、いくつものグラスからあふれ出したワインのように互いに重なりあっている。色とりどりのワインの重なりに、私もまた受け入れられていることの安らかな酔いを覚えているのかもしれない。[i]

 

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[i] (2014)

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