わかちあいのルール4:聞いた話を外でしない

 

依存症関連の自助グループでは、「うわさ話をしない」と表現されることもある。たとえば、ある遺族が、わかちあいのときに話した内容を、その遺族がいないところで、そのわかちあいの場にいなかった人に言うことは、まさに「うわさ話」である。ある日のわかちあいの場でしか話さなかったことなのに、思いもよらなかった人から、「聞きましたよ、○○だったんですってね」などと言われることは、非常にショッキングなことであり、わかちあいでも安心して話せないのか、ということになる。個人の秘密が守れない自助グループでは、やがて誰も深い話をしなくなるだろう。

 では、こういう場面は、どうだろう。わかちあいの後、喫茶店に入ったとする。ある遺族が、とても衝撃的な話をしたあとなので、その感想を話したくなって誰とはなくそれを話し始める。当の遺族は、さっさと帰ってしまったので、その場にはいない。しかし、喫茶店のテーブルを囲んだ遺族は、そのわかちあいに参加した人ばかりである。とすれば、そこで話したとしても外に広がるわけではないから問題ないのではないか。

 そうとは限らない。喫茶店はにぎやかでBGMがかかっていたりするから、話し声も自然に大きくなる。盗み聞きするつもりは全くなくても、隣のテーブルにいる見知らぬ人の耳に入っているかもしれない。テーブルを囲む4人のなかには、顔は笑っていても、「わかちあいで話したことが、こんなふうに外で話されるんだ」と思い、心が凍り付くようになっているかもしれない。

 では、もっと静かな場所で、たとえば、わかちあいの帰り道、さっき話してくれた遺族と二人きりで歩くことになった。周りには誰もいない。あなたは、わかちあいで聞いた話の続きをもっと聞きたいと思う。そのとき、その人は、どんな気持ちになったのだろう。それから、あとどうしたのだろうか。そんな疑問(と、好奇心)でいっぱいになって、それを話題にするとどうだろう。それでも「聞いた話を外に出さない」というルールに反するだろうか。

 私の考えをいえば、それもまた「外に出す」ことになると思う。その人は「わかちあい」のなかで話したのであって、あなた個人に対して話したのではない。「わかちあい」とは不思議な空間であり、一回きりの、二度と繰り返されない、つまり再現されない場なのである。集まった人たちの顔ぶれ、どこに誰が座ったか、誰のどんな発言で始まり、そのあと誰がどのような気持ちでどんなことを話したかといったことで作られる全体をつつむ雰囲気が、部屋の温度や明るさ、色彩、季節や外の空気の流れなどいろいろな要素といっしょになり、毎回、独自の時間、空間としての「わかちあい」が創られる。そこで話されたことは、その「わかちあい」が一回きりであるという事実のもとに封じられるのだといっていい。

 とはいえ、どうしても、もういちどその話を聞きたいというときは、どうするか。私だったら、自分の話をするだろう。どうしても、その話をもう一度聞きたいという理由には、自分自身のなんらかの事情があるはずだ。それを話す。そして、それを聴いてもらえたら、再度聞きたいという気持ちも和らぐかもしれないと思う。

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