無意識の支援臭

 

前の章で「支援臭」について述べたが、「加齢臭」を思わせる語感があり、なんだか痛快で、これを「ひきこもり」を体験した人から聞いたあとは、私は学生との雑談のなかで、よく話題にしていた。ここに改めて、この言葉について書くことになり、ネットで検索してみると、「教員臭」と似たようなものだと論じているものがあった[i]。びっくりした。たしかにそのとおりだ。そして、そう気づいたとたん、これは他人ごとではない、自分の問題だと思った。

 私は福祉現場の実践から離れてかなり年月がたっているので、「支援臭」には無縁だと考えていたが、「教員臭」なら無縁どころではない。30年以上も教壇に立ち、学生たちから「先生、先生」と呼ばれ続けて喜んでいるのだから、残念ながら骨の髄(ずい)まで、すでに教員臭い。

 実際、家族からも言われたことがある。妻からは、何か相談事があって、それに答えたら、妻を怒らせてしまった。私が学生に教えるような調子で偉そうに話しているというのである。「もう二度と聞かない!」と言われた。私としては、せっかくアドバイスしたのに残念だった。そういえば、大学に勤めはじめて数年たったときのこと、もうすでに私は「教員臭」を発していたらしく、会話の途中で、母から、やや嫌味をこめて「すっかり先生みたいな言い方だね」と言われたことがある。どこがそうなのかと聞けば、「ふん、ふん」と、あいづちを打つ、その言い方が「先生みたい」だという。「ふん、ふん」だけで、そんなことを言われても、と困ったが、「加齢臭」と同じで「教員臭」というものは、家族とか、よほど親しい関係でないと指摘してくれないものなのである。

 学生たちからは、さすがに私から「教員臭」がするとは聞いたことがない。すでに彼らにとって私は「教員」なのだから「教員臭」は当然のことなのだろう[ii]。しかし、それに似たようなことを言われたことがある。私は、若いころは授業時間も学生との活発な対話が大切だと信じていて、授業中、学生に何度も問いかけをしていた。ところが、なかなか学生が答えてくれない。自信がないんだろうなと思って、「自分の意見を言えばいいんだよ」と励ましのつもりで言ったら、学生たちは、しぶしぶ答えた。「先生は、何を言ってもいいと口では言っているが、実際には自分が期待している答えが学生から出なかったら、本当にがっかりした顔をする。それを見て、私たちは『ああ、答えは違っていたんだな』と思う。それが嫌で、答える気にならないんですよ。」いったい、そんな顔を私がするのかと聞いたら、「バレバレですよ」と学生たちは笑う。同じような問答を別の学生とも何度も経験したので、これは真実のようだ。

 こういう表情はもちろん、「ふん、ふん」という頷(うなず)きも、私本人は意識していない。意識していないことが、どんどん身体から出てしまう。だから「臭い」であり、「教員臭」なのだ。

 ここから「支援臭」を類推して考えてみれば、支援者たちも自分の「臭い」に気づいていない。長年、自分に染み付いた臭いだから、指摘されても気づかない。結局、支援しようとしても、誰も人が近づいてこない。

 では、せめて「支援臭」とは、どんなものなのか、説明があれば、支援者も自分の臭いを知ることができるのではないか。臭いを知ることができれば、少しでもそれを減らすことができるかもしれない。次の章では、その説明を試みてみよう。

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[i] 日下(2016).

[ii] まだ私が30になったばかりのころだったか、新米教員の私は一人の男子学生から(私のほうから求めたわけでもないだが)「助言」を受けたことがある。「だいたい『先生』っていうのは、学生からみれば、どうしても、いっしょにいるだけで、うっとうしいものなんです。それは先生が個人的にどうだということではなくて、『先生』って、そういうもんなんですよ。それは仕方がないことです。でも、それは(学生と接するときには)忘れないでいてもらいたいんですね。」彼は、攻撃的な調子で言ったのではない。私と同じ年のくらいの兄がいるといっていた学生のこの発言は、あくまで善意からのものだった。教員臭に通じる話かもしれない。

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