「遺族ビジネス」

 

 「貧困ビジネス」という言葉があって「経済的に困窮した人の弱みに付け込んで利益をあげる悪質な事業行為[i]」と定義されている。それにならって「遺族ビジネス」というものがあるのなら、「遺族の弱みに付け込んで利益をあげる金もうけ」ということになるだろうか。

 いや、それでは、あまりに言葉が過ぎるかもしれない。しかし、遺族の自助グループを論じるときに、どうしても避けては通れないのが、この「ビジネスとしての遺族支援」だ。私は、自死遺族の自助グループに集う人たちから、こういう話は何度も聞いてきた。ただ、誰か特定の個人や団体を攻撃しているように思われると心外なので、できるだけ曖昧な形のまま描写してみることにしたい。

 この「遺族ビジネス」には、二つのタイプがあるようだ。一つは、自死遺族への支援についての講演や研修によるもので、もう一つは、遺族を直接に支援する形をとるものである。

 まず、講演や研修によるものは、全国各地で行われている。その背後には、自殺対策基本法のもとに策定された一連の施策があり[ii]、巨額の公的資金がそこに注ぎ込まれているという事実がある。もちろん、その講演や研修が、すべて「遺族ビジネス」だというわけではない。ただ、その一部が「遺族を金もうけのために利用している」と非難されているのである。

 法律による根拠があり、国や自治体がそれにしたがい学識経験者等に講演を依頼したり、民間団体に研修を委託したりすることは通常のことであり、自死遺族の支援にかぎったことではない。にもかかわらず、「遺族ビジネス」という批判が出てしまうのは、自死遺族支援の歴史が浅く本当の専門家が非常に少ないために、それを補うようように「自称・専門家」が幅広く「活躍」してしまっている実情があるのだろう。

 「医師」や「看護師」「精神保健福祉士」「公認心理師」などは国家資格なので、国家試験に合格もしていないのに、その肩書きを使えば、詐欺になる。しかし「心理カウンセラー」と名刺に書いてあちこちに配っても、罪にはならない。そんな名称の公的な資格はどこにもないからである[iii]。誰でも、明日にでも「自死遺族カウンセラー」と名乗っても(社会的には相手にされないとしても)法的に問題になることはない。

 自死遺族支援のことを調べていると、新聞記事で「専門家」として取材を受けていたり、コラムを書いていたりする人の名前を目にするが、その名前で学術論文の検索サイト[iv]で調べてみても、何も出てこないことがある。もちろん現場で支援にかかわっていて、論文等を書く時間が無かったということもあるだろう。しかし、そういう人の経歴を調べてみると(「自称・専門家」と呼ばれている人たちは、「自称」の一環として自分の経歴等をサイトで掲示していることがある)、医療や心理、福祉等の支援について大学で正規の学生として学んだことがなかったりする。「ボランティアとして長年、支援してきた」「私自身も遺族として苦しんだ」といった経験か、あるいは(言葉は悪いが)簡単な通信教育で得た民間の「資格」が、「専門家」を自称する根拠となっているらしい。

 このように書けば、「それの、どこが悪いのか」「国家資格をもった人や、大学で正式な教育を受けた人だけが支援にかかわるべきだという主張は間違っている」という声もあるだろう。それに対して反論するとすれば、上記のような「自称・専門家」(の一部)に対して「遺族ビジネス」だと批判する声が、なによりも自死遺族の自助グループから上がっていることを指摘したい。

 「貧困ビジネス」が、貧困者を「下」にみて、貧困者を利用することによって利益を得ているように、「遺族ビジネス」も、遺族を蔑み、遺族を利用して金銭を得たり、自らの社会的地位を上げたりしていると、自死遺族の自助グループは非難しているのである。

 その一つの証拠として「遺族ビジネス」が広く行われている都道府県では、自死遺族の自助グループと行政機関との関係が良くないことが挙げられる。つまり「遺族ビジネス」の推進者は、自死遺族への心理的な支援[v]が急務であることを主張する過程で、遺族が「心理的に病んでいる」ことを強調する。地方自治体が、そのような「遺族ビジネス」の「講師」を呼んで、職員に「研修」を受けさせた場合、当然、自治体職員は自死遺族を「心理的に病んでいる人」と見なしてしまう。そのため自死遺族だけで自助グループを作り、活動することは「危険」に思えてきて、専門家が指導しているグループを優先的に支援したいと考えるのだろう。

 以上、行政機関における「研修」にかかわる「遺族ビジネス」について述べたが、もう一つの形は、遺族を直接に支援するものである。自死遺族を直接的に支援することには、何の問題もないし、自助グループも行っている。遺族から金銭を報酬として受け取ることも、通常の医療や心理療法と同等なものとして批判すべきことではない。

 自助グループが問題にしているのは、自助グループであるという「看板」をあげて、実は、集団療法であるとして金銭を受け取る行為である(自助グループは、金銭的に参加者から集めるものは、通常、部屋の使用料など最低限のものであり、ほぼ例外なく参加者から高額な参加費用は取らない。高額な金銭を要求するものは、自助グループの定義から外れるのである)。あるいは、自助グループを開き、遺族が集まったところで、金銭的な余裕がありそうな人あるいは個別の集中的な支援を必要としている人(要するに「客」になりそうな人)を選んで、個別に声をかけ、自分のクリニックに誘導するという手口である。「自分は遺族であるが、実は資格ももっていて、クリニックに来ていただければ、個別に援助しますよ」というわけだ。

 「自助グループ」という名称の悪用は、実は、稀な話ではない。たとえば、皮膚にトラブルをかかえた人が、自助グループが開かれていると知って、その集まりに行けば、特定の会社のクリームを買わされる。そのグループの冊子等の印刷費等を出しているのが、その会社であり、グループの実態は、そのクリームの販売戦略の一つだったりする。それと同じことが自死遺族支援においてもあるということだ。

 

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[i] デジタル大辞泉「貧困ビジネス」より。https://kotobank.jp/word/貧困ビジネス 参照。

[ii] 自殺対策基本法第21条には「自殺者の親族等の支援」が記され、「国及び地方公共団体は、自殺又は自殺未遂が自殺者又は自殺未遂者の親族等に及ぼす深刻な心理的影響が緩和されるよう、当該親族等への適切な支援を行うために必要な施策を講ずるものとする」とある。

[iii] 臨床心理士のように、公益財団法人(日本臨床心理士資格認定協会)によって認定されている民間の資格はある。またネットで探せば(具体的な名称は、ここでは書かないが)短い研修によって比較的簡単にとれる心理関係の民間の資格はかなりあることがわかるだろう。心理学者の原田(2017)は、そのような怪しい資格でカウンセラーを名乗る人々について次のように言う。「多くの場合、自称『カウンセラー』の述べる『専門性』や『効果』はあいまいである。まず、専門性についてであるが、先にふれたように、プロフィール欄には多数のそれらしい専門団体の名称と資格が並ベられていることが多い。しかし、ほとんどは聞いたこともないような民間団体ばかりである。ひどい場合には、自分が設立した団体で自分に資格を与えるような自作自演のケースもある。また、たった数時間や数日の研修を受けただけで、『心理カウンセラー』の資格が与えられるような場合もある。これでは、料理教室や絵手紙教室と変わらない。3日間の料理教室に参加しただけで『料理人』を名乗ったり、絵手紙教室に出て『画家』を気取ったりする人がいるだろうか。」

[iv] もっとも一般的に使われているものとして国立情報学研究所が開いている無料のデータベース・サービスCiNii(サイニィと呼ぶ)https://ci.nii.ac.jp  がある。

[v] 自殺対策基本法の第21条は「第二十一条 国及び地方公共団体は、自殺又は自殺未遂が自殺者又は自殺未遂者の親族等に及ぼす深刻な心理的影響が緩和されるよう、当該親族等への適切な支援を行うために必要な施策を講ずるものとする」とある。多くの自助グループが、差別や経済的な問題など「社会的影響」にも注目するのに対して、法律では「深刻な心理的影響」のみが言われている。「遺族ビジネス」は、そこに注目し、いきおい遺族の心理的な病理ばかりを強調するようになり、結果として、自助グループは心理的に混乱している人々の集まりとされてしまう。それが、遺族の自助グループは、たとえ「自助グループ」であっても「専門家」の指導が必要だという「自称・専門家」の主張につながっていくのである。

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