フリーライダー(ただ乗り)問題

 

村の中央に川があった。川のために、村は二つに分かれてしまっている。村人たちは、橋があれば、どんなに便利だろうと考えるのだが、どんな橋をつくればいいのかを議論すると、必ず意見が対立する。ある者は、お金をかけてしっかりしたものを作るべきだといい、ある者は、できるだけ安上がりのものを作るべきだという。話がまとまらないので、いつまでも橋はできない。村人は困ってしまった。

 そこへ、ある人が自分が橋を作りましょうという。村の意見がまとまらないので自分だけで資金を出すといい、結局つくりあげてしまった。その人は、橋の建設費を回収するために橋の通行料を村人から取っても良かったのだが、その管理のためには、人件費等、また追加の費用がかかってしまうので、橋の使用は無料とした。村人は喜んで、その橋を毎日のように使うようになった。

 さて、ここで問題である。この村人のなかで誰がもっとも得をし、誰がもっとも損をしたか。金銭的なことだけを考えれば、答えは明らかである。もっとも損をしたのは、橋を自費で作った人である。そして、もっとも得をしたのは、その人以外の村人である。一銭も出さずに、自由に通ることができる橋を手に入れたのだから。このような人々を経済学的にはフリーライダー[i](ただ乗り)と呼ぶ。

 フリーライダーは、とても身近なもので、誰もがフリーライダーになりうる。たとえば、私が通勤途中にみる公園のきれいな草花は、誰かが植えて世話をしてくれている。私は一銭も払っていないし、手伝いもしていないのだが、ときどき立ち止まっては、携帯電話で花の写真を撮ったりしてして楽しんでいる。また、私の住んでいる街の路上には、ほとんどゴミがない。カラスが収集されるはずの生ゴミの袋を破り、そこらじゅうを汚してしまうことがあるが、私が帰宅するころには近所の誰かがきれいに掃除してくれている。ここでも私はフリーライダーである。

 自助グループにも、多くのフリーライダーがいる[ii]。たとえば、全国自死遺族連絡会が中心となって2022年にまとめた「自死遺族等への総合支援のための手引き書」は、自死遺族なら誰でも(いや、自死遺族ではなくても)無料で自由に、全国自死遺族連絡会のホームページからダウンロードできる[iii]。「本書の作成と配布は、厚労省の 2021 年度補助金事業として認められました」[iv]とあるが、作成と配布のための実費が行政から出ているだけで、寄稿し、編集した遺族や弁護士、司法書士らに原稿料や謝金が払われているわけではない。つまり、この「手引」は、無償のボランティア活動として編まれたのだが、読んで利用する人は何も支払わない。したがって、ここでもフリーライダーの存在がある。

 わかちあいの場も、フリーライダーが利用するところとなる。わかちあいの場は、誰かが労をとって用意してくれているのである。たとえば、公共の建物の部屋を予約することは、抽選の日時が決まっていることもあり、そう簡単なことではない。また、場の設営もしなければならない。机の配置、茶菓子の用意が必要なときもある。さらに場の秩序を保つ役割も求められる。遺族ではないのに「遺族について勉強に来ました」という人や、遺族ではあっても、わかちあいの場にふさわしくない言動を止めない人に退出をお願いすることもある。そうした「面倒なこと」を誰かがやってくれているからこそ、安心してわかちあいができる空間が与えられる。それなのに何も考えないで、ただ自分の気持ちにだけ目を向け、その場に来て、自分の話をして、語り、語り終えたら、部屋の片付けなど余計なことにかかわらないように、さっさと立ち去る。こういう人は、典型的なフリーライダーだろう。

 このようなフリーライダーが1人か2人のときは、問題ない。気持ちに余裕がないのだから仕方がないだろうと諦めもつく。しかし、自分以外の人が、みんなフリーライダーで、会場の設営も一人でやっているのに誰も手伝わず、設営が終わるまで腕を組んで待っている人ばかりだと、中心になっている人も疲れて嫌になるだろう。「なぜ、私にだけさせて平気でいられるのか」と、腹がたってくるかもしれない。

 もし、そういう状況になれば、ぜひ考えていただきたいのは、自助グループが無償の活動として行われていることは、多くの人には、ほとんど知られていないことである。保健所の職員であるかのように黙々と準備をしている人は、遺族であっても行政からお金をもらってやっているのだろうと漠然と思われているのかもしれない。自助グループに長くいる人には、自助グループがどういうものか自明であっても、一般の人にはそうではない。自助グループが、どういうものか、ほとんどの人はよくわかっていない。だから最初に来た人には、そして長く来ていてもいつまでもフリーライダーのままでいる人には、自助グループは、当事者ひとりひとりの協力によって無償の活動として成り立っていることを強調したほうが良いと思うのである。

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[i]  フリーライダーとは「公共財(集合財)の供給に際してはコストを負担せずに、それを利用するだけの人をさす。公共財は、その供給に貢献しなかった人でも利用を妨げられない(非排除性)ので、それが可能となる。」海野(1993, p. 1278)

[ii]  Oka(2000, 2003a, 255-264; 2003b).

[iii]  全国自死遺族連絡会・自死遺族等の権利保護研究会(2022)

[iv]  全国自死遺族連絡会・自死遺族等の権利保護研究会(2022), p. 2

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