自助グループ研究の中核的概念1:援助者治療原理

 

ここからは、いちど自死遺族ということから離れて、自助グループの研究の中核にある3つの概念について説明したい。それによって自助グループの研究とは、どういうものかを読者に伝えたいと思う。

その3つの概念のうち、最初に広く知られたものが、ニューヨーク市立大学教授で社会心理学者でもあったフランク・リースマンが1965年に発表した「援助者治療原理」あるいは「ヘルパー・セラピー原則」である[i]。「この原則は,簡単にいうと、『援助をする人がもっとも援助をうける』という意味である。」[ii] 具体的には以下のような例がある。

たとえばAA[iii]で他のメンバーを援助しサポートしているアルコール依存者は、. . . 援助し与える役割をとることによって、もっとも利益を得ることになるだろう。さらに、グループの全員がいつかこの役割をとるようにすれば、全員がこの援助過程から利益を得ることになる。ある意味では、これは、専門家であれボランティアであれ、どんな援助者にもあてはまることである。しかし、相互援助グループ[iv]のように、援助者が被援助者と閉じ問題をもっている場合には、なおさらそうであるといえる。援助する者は一般に誰でもその役割をとることを通して自らも助けられている(この点を見すごしてはならない)。しかし、特別な問題をもっている人は、それがアルコール依存であれ、薬物依存であれ、喫煙、学業不振、心臓疾患、高血圧、糖尿病その他何であれ、同じように特別な問題をもっている人を援助することによって、より特別な仕方で援助を受けることができるようである。[v]

要するに「誰かを助けることは、自分を助けること」[vi]ということだ。日本にも「情けは人の為ならず」という諺があるが、そこでは、誰かを助けることは、まわりまわって自分を助けることにもなるという意味だろうが、それよりももっと直接的に自分の助けになることをいう。

これを自死遺族の場合に当てはめるとどうだろう。遺族として、自助グループで活動している人たちは、その活動にリーダー的にかかわることによって、自分たちが助けられていると感じているだろうか。つまり「わかちあい」の場や、他の遺族との出会いによって助けられると遺族が思っていることは自明だろうが、その場を設けることや、遺族どうしの出会いが生まれるために活動することが、その遺族自身の役にたっているかどうかという問いなのである。

その問いに「そうだ」と答えるのが、ここでいう「援助者治療原理」だ。残念ながら、というか、活動の出発点が愛する家族の喪失なのだから当然かもしれないが、自助グループの活動をやって「良かった」という声は、私は10年以上、自死遺族のグループ・リーダーの方とかかわっていて、その口からほとんど聞いたことがない。

しかしながら、どこかに「良いところ」がなければ、自助グループの運営者になることはないはずだ。「自死遺族として助けを求めている人がいるから」というのは、リーダーのかたからよく聞く「理由」なのだが、それはここでいう「援助者治療原理」ではない。自分に役立っているかどうかを言っていないからである。

そこで以下は、私の推測をもとに語るしかないのだが、自死遺族の自助グループでの「援助者治療原理」は、次のように現れるのかもしれないと思う。

まず、わかちあいの場を自らつくる人には、より多くの遺族との出会いがあるはずだ。単に地元で誰かがわかちあいの場を開いてくれるのを待つのではなく、いろんな場所にでかけて、さまざまな遺族に会うことができる。人とのつながりができ、共感する体験が増える。それがその遺族自身を助けることにもなっているというのである。

また、遺族の集まりを積極的に作り、他の遺族の力になろうとしている人は、結果として「亡くなった人とともに生きている」という実感が、かすかにではあるが、生まれてくるのではないか。「亡くなった人の思いを受けて、私はこの活動を続けている」という声を聞いたことがある。遺族の会は、死別体験者の会ではない[vii]。死別体験者の会には、愛する者を喪った人が集まるだけだが、遺族の会には、その中心に亡くなった人がいる。亡くなった人の思いは、それがどんなものだったのか誰にもわからないのだが、少なくとも遺族の会には、その思いに応えようとする気持ちが溢れている。その遺族の会に尽くしたいと思うことは、亡くなった人と共にある生き方と重なり、それが会のために働く遺族の心を癒やすことに通じるのではないだろうか。

そして、最後に、遺族の会に力をそそぐ人は、自死した人の家族であったこと、つまり自死遺族であることに、よりいっそう揺るぎない誇りを持つことになるのではないだろうか。自死遺族は、ある日、突然に遺族となる[viii]。自死と自死者、その遺族に対してマイナスのイメージを持っていれば、それは愛する人の死のあと、一気に、思いがけず、自分自身に覆いかぶさってしまう。それが理不尽であると理屈ではわかってはいても、意識しないまま何十年も身につけてきた物の見方は、嫌だと思ってもなかなか振り切れない。それは、まるで闇のなかに大きく広がっていた蜘蛛の巣が、いきなり頭の上に落ちてきたようなもので、手で何度か払っても髪の毛にべったりと貼り付いてしまっている。

その蜘蛛の巣のように、いやらしく身体につきまとう世間の声に対して、堂々と胸をはり、亡くなった人の家族であることを誇らしく語る場として、自死遺族の自助グループがある。自助グループに積極的、主体的にかかわることによって、蜘蛛の巣のようにまとわりつく古い考え方から自由になれるのではないか。かつては顔を隠し、音声も変えてテレビに出ていた精神障害者が、いまは、ふつうの市民として声を出し、マスコミの前で臆することなく意見を述べている。一方、ごく限られた少数の人は別として、多くの自死遺族は新聞で取り上げられることも拒否しているが、その自助グループの活動の継続は、自死遺族にも同じ道がつづくことを約束しているにちがいない。

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[i]  Riessman(1965). 「ヘルパー・セラピー原則」という訳語はGartner & Riessman(=1985)による。

[ii]  Gartner & Riessman(=1985), p. 117.

[iii] AAとは、アルコホーリクス・アノニマス(Alcoholics Anonymous)のことをいう。アルコール依存症者の代表的な自助グループである。

[iv] 自助グループのこと。

[v] Gartner & Riessman(=1985), pp. 117-118.

[vi] 英語では Helping You Helps Meという。これは翻訳でも紹介された自助グループのガイドブックのタイトルにもなっている。Hill (=1988).

[vii] わかちあいのルール8:亡くなった人とともに参加する

[viii] 自死遺族の「内なる差別」につながるもの

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