助グループの定義について

 

自助グループとは何かということを、ここで述べておきたい[i]。自死遺族の自助グループにとって自助グループの定義は重要だ。なぜなら2017年に閣議決定された「自殺総合対策大綱」[ii]には「遺された人への支援を充実する」ために、政府は「遺族の自助グループ等の地域における活動を支援する」としているからだ。公的な支援の対象ともなる遺族の自助グループとは何かということが、当然、問題になってくる。

 その公的な機関がどのように遺族の自助グループを理解しているかを示すのが、2009年に出され、この本の執筆時点(20225月)でも厚生労働省のホームページに掲載されていた「自死遺族を支えるために:相談担当者のための指針」(以下、「指針」)という報告書[iii]である。そこでは、次のように定義され、その特徴について述べられている。

自助グループとは、同じ問題を抱える者同士が集まり、体験や願いを語り合うことで、互いに援助し、回復を目指す集団およびその活動である。自助グループの活動の中心となる語り合いの場は、一般的には「例会」もしくは「ミーティング」と呼ばれるが、わが国の自死遺族の自助グループの場合は、「分かち合いの会」、「集い」といった名称で呼ばれることが多い。自助グループの例会/ミーティングは、参加者は原則当事者だけに限られており、支援者や専門家は参加できない。会の進行役・ファシリテーターは自助グループのメンバーが交代で担当するが、他者の発言に対する解釈や批判、助言や指導といったことは禁止されており、“言いっぱなし、聞きっぱなし”の原則が遵守される。ただし、“自分の体験に基づく提案”(「私の場合はこうだったよ . . . 」という形で述べること)をすることは構わない。[iv]

 ここでは、会の進め方に焦点が当てられている。「相談担当者の指針」ということで、実際にどのように行われるのかを、イメージしやすいように作成された結果かもしれない。しかし、あえて批判的に書けば、自助グループが外からどう見えるのかという表面的な記載に終わっていて、自助グループが依って立つ基盤については何も述べられていない。その結果、たとえば、精神保健福祉センターなどの職員が自死遺族を集めて互いに語り合う場を提供すれば、それで「自助グループ」が成立してしまうのではないかという疑問が生じる。職員が、その場を離れて、遺族だけの集まりにすれば、この定義にぴったり当てはまる「自助グループ」になってしまうだろう。

 しかしながら、そのような集まりは、遺族だけで集まり語り合うことができたとしても、通常は「自助グループ」とは呼ばない。なぜなら、その集まりの主催者は、遺族ではないからである。また、その場かぎりの、一回かぎりのものも「自助グループ」とは言わない。それを示すために日本社会福祉学会編集の「社会福祉学事典」に書かれた「自助グループ」の定義をみてみよう。それは以下のようなものである。

ある共通した困難な生活状況にある人々が、その困難な状況の解消または緩和を目的として自発的かつ継続的に行う集団活動である。その目的を達成するための主な手段として「わかちあい」とよばれる体験の交換および共有が行われる。[v] (下線は、岡による)

「自発的かつ継続的」ということが重要で、職員に促されたり、専門家に指導されたりして行うものではなく、遺族が主導権をもって始めるのが自助グループなのである。また、その場かぎりの、あるいは、たとえば「5回行えば終わり」というものではなく、遺族が必要だと思うかぎり継続していく活動である。

さらに、上の短い定義では十分に述べられていないが、やはり自助グループが依って立つ基盤にかかわることで、広く国際的に認められている自助グループの性格について紹介しておきたい[vi]。それは以下の3つの性格である。

まず「自助グループは、同じ健康上の、あるいは経済的な、社会的な問題あるいは争点[vii]にかかわる人々が、自分たちのために、ほとんど常にボランティアとして運営している」[viii]。たとえば、当事者がNPOを立ち上げ、そこでそこの職員として当事者の「わかちあい」を進めるとしたら、それは自助グループとはいいがたい。たとえば、依存症の分野では、依存症に苦しんだ経験のある人が職員として依存症者のグループの支援を行うことがよくあるが[ix]、それは一般的には自助グループとは呼ばない。

2に「グループのメンバーの、その争点についての知識は、主として自分たちの直接的な体験から得られたものである」viii。たとえば、当事者だけの集まりだとしても、心理学や精神医学、または研究者が開発したグリーフケアの知識のみに依拠して動いているグループは、自助グループとは言えない。活動の中心にいる当事者がたまたま心理や精神医学の専門職であったり、また遺族となってから専門的知識を得たりするとき[x]、こういう「自助グループと似て非なるもの」が生まれることがある。

そして第3に「自助グループは、非営利団体として運営されている」viiiことである。これについては、遺族の場合は当然のこととして詳しい説明は不要だろう[xi]。身体障害者が集まり、会社を設立するという事例は昔からあるので、このような例を排除しているのである。

以下、この定義にしたがって、より詳しく自助グループについて考察してみたい。

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[i] 自助グループの研究は欧米で始まった。どのような定義や概念枠組みで始まったのかについては、(1990)まとめている。無料でダウンロード可能である。

[ii] 自殺総合対策会議(2017).

[iii] 大塚ほか(2009). この指針は改訂されているが(大塚ほか, 2014)、20225 月現在、厚生労働省のホームページに掲載されているのは、旧版(2009年度版)である。したがって旧版のほうが広く使われていると判断し、ここでは2009年度版の報告書の定義を紹介する。

[iv] 大塚ほか(2009), pp. 3-4. ただし、引用文中の改行は省いてある。

[v]  (2014a), p. 592.

[vi] Munn-Giddingsほか(2016). この論文は、世界各地(イギリス、アメリカ、ドイツ、メキシコ、ジンバブエ、日本)の自助グループの研究者が共著としてまとめたものである。

[vii]  問題(problem)だけではなく争点(issue)というのは、たとえば、同性愛者が「問題」をかかえているというと、同性愛であること自体が望ましくないという意味合いが出てきてしまうので、それを避けたいという意味がある。一方で、同性愛者どうしの結婚は、日本国憲法では認められていないから、同性愛者は日本では社会的な「争点」にかかわっているといえる。障害者や不登校など、「問題」というより「争点」と理解したほうが適切である事例はいろいろ考えられる。

[viii] Munn-Giddingsほか(2016), p. 394.

[ix] 代表的な例としては、ダルクがある。それは「薬物依存当事者たちが最低数か月にわたる長期の共同生活を送る中で、依存からの『回復』をめざす民間リハビリテーション施設である。スタッフもほぼ全員が『回復』途上の薬物依存の当事者であり、過去にダルクに入所していた経験をもつ者も多いことから、当事者中心の『自助(セルフヘルプ)』的な施設と呼ばれることも多い」(ダルク研究会, 2013, p. 3)が、自助グループではない。ボランティアで運営されているわけではないからである。

[x] 二つの帽子」問題が生じる可能性もある。

[xi] ただし、行政からの補助金を私的利益に用いた場合は、「遺族ビジネス」であるとして批判される可能性があるだろう。

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