わかちあいのルール7:「仲良しクラブ」にならない

 

「仲良しクラブ」とは、アルコール依存症者の自助グループで、私が聞いた言葉だ。だいたいが、悪い意味で使う。私は、これまでさまざまな自助グループの集まりに出席してきたが、典型的な「仲良しクラブ」に遭遇したことがある。もう10年以上昔のことなので、具体的にどこのグループのことか誰にもわからないはずなので、少し詳しく書いてみたい。

 そこは小さな集まりだった。公民館のようなところで、78人の高齢の男性たちだけが、ロの字に並べられた机に座り、向かい合っていた。私が見学者として参加していることが紹介された。なんでも、そこは20年、30年も前から毎月2回ぐらいのペースで開かれていて、集まった人たちは、ここの常連だということだった。

 私のすぐ隣には、40代か50代の夫婦がいた。夫のほうは、アルコールの害であると思われるが、不健康な黒い顔をしている。下を向いた目は不安そうに大きく見開いているが、焦点が合わないようで、身体は小刻みに震えていた。妻は、そのそばに寄り添いながらも、いまにも泣き出しそうなのを懸命に堪(こら)えて無理に笑っているような表情で、夫の背中をずっと撫で続けている。

 「いまさっき入院していた病院から出てきたばかりなんです。まずは自助グループにつながりなさいと(精神科の)先生に言われて、こちらを紹介されて来ました。よろしく御願いします。病院からここまで、ほんの、すぐ近くなんですけど、ここに来る間にも何度も(この人は)バーッと走ってお酒を買いにいってしまいそうで、本当に不安で、怖くって。本人も、お酒を止めたいって思って一生懸命がんばっているんですけど、ねえ」と、母親が小さな我が子をかばうように、少し顔をのぞいて言う。夫のほうは、少し頷くだけで何も言わない。しばらくして、その沈黙を埋めるように妻は続けて「禁断症状なんでしょうね、本当に、すごい汗なんです」と、秋も深まっている涼しい夜に、夫の額に流れる汗を、自分のハンカチでぬぐっていた。

 夫婦はそこまで追い詰められて、ここにやってきた。私は何度もアルコール依存症者の自助グループの集まりに出てきたが、ここまで痛切な訴えを聞いたことがなかった。「藁にもすがる思い」とは、このことかと思ったくらいだ。

 さて、この状況にどう向かいあうのか。日本でも有数の、歴史の長い自助グループが、この二人の苦しみにどう応えるのだろうと、私は息をのむようにして沈黙が終わるのを待っていた。

 しかし、その場にいる男性たちからポツリ、ポツリと出てきた言葉は、実に意外なものだった。それは、なんと、その夜に行われているはずのプロ野球の話だった。「意外に打てないもんだよね」「やっぱりチームが変わると、難しいのかねえ」など、有名選手についての、どうでもいい話をしている。妻は、夫の背中をさすりながらも、不自然な笑顔を浮かべて、そんな野球の話にウンウンと頷いている。早く、苦しんでいる夫に何か声をかけてほしいと、妻は祈るような気持ちであったにちがいない。

 いったい、わかちあいはいつ始まるのか。くだらない無駄話は、いつ終わるのか。お酒を断ちはじめたばかりの苦しい時代が、いまはベテランのメンバーである、この人たちにもあったはずである。それをいつ話すのか。私は、この夫婦が、もう我慢できずに、いまにも立ち上がってどこかに行ってしまいそうな気がしてハラハラしながら聞いていた。

 結局、小一時間ほど雑談が続き、最後に司会進行をしていた人が、まるで決まり文句を棒読みするように「あなた方も、いまは苦しいと思いますが、がんばってください」と言う。それで終わりだった。まるで人ごとなのである。「自助グループは、ここだけじゃないです、諦めないでください」と、そこで私が言わなかったことを、いまでも申し訳なく思っている。

 この話を別のアルコール依存症者の自助グループのメンバーに話したら、「ああ、それは『仲良しクラブ』になっているんですよ」という。「仲良しクラブ」とは、いま苦しんでいる人に開かれた自助グループではなく、もうある程度、落ち着いた人たちが自分たちだけで楽しくやりたいと思っている「閉じられた」グループなのだ。口では「誰でも歓迎します」と言いながら、本当は気心の知れた自分たちだけで集まるほうが楽しいと思っている。いまは、お酒を飲んで苦しかったことも遠い思い出になっていて、いまさら、お酒を止められなくて苦しんでいる人の姿を見たくないし、その話を聞きたくもない。辛かった昔を思い出したくない。何より苦しんでいる人が新しく来ることで、自分たちの集まりの楽しい雰囲気が壊れるのが嫌なのだ。

 自死遺族のわかちあいも、ある程度、落ち着いてきた人が集まり、仲良くなれば、雑談に流れてしまうことがあるそうだ。前にも書いたが、どこそこのケーキはおいしいという話になってしまう[i]。そうなってしまうと、いま苦しんでいる人には居場所がなくなる。そういう意味で、わかちあいでは、雑談は禁止なのである。

 仲良くなった遺族たちが、ふつうの近所のお友達のように笑いながら気軽におしゃべりしたいと思うときもあるだろう。それは当然のことでもあるので、そのときのために、わかちあいの場とは別に「茶話会」と呼ばれる集まりをもつ自助グループもある[ii]。そこでは遺族ではない人たちも加わることができる。遺族ではない私には、その茶話会は、遺族のお話が聴ける貴重な場でもある。わかちあいの場ではないからといって意義がないということではない。茶話会については、別に述べたい[iii]

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[i] わかちあいのルール6:自分の話をする

[ii] たとえば田中幸子さんが運営している藍の会が、その例である。

[iii] わかちあい以外の活動1:茶話会・飲み会

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