わかちあいのルール5:静かに傾聴する

 

「言いっぱなし・聞きっぱなし」という言い方がある。誰が考えたのか、私は不勉強なので知らないのだが、自助グループの間で昔からよく使われている原則である。ある自助グループは、これについて以下のように解説している。

参加者が話したことに対して、司会者もほかの参加者も、コメントやアドバイスは一切しません。批判や議論もしません。自分の話す番がきたら話し、ほかのひとが話している間は、だまって聞きます。これを「言いっぱなし、聞きっぱなし」の原則といいます。[i]

とてもわかりやすい。しかし、この本で何度も強調していることだが、自助グループのあり方は、そのグループのメンバーの生活の状況によって大きく異なる。たとえば、難病児の親の会では「言いっぱなし、聞きっぱなし」ということは、ほとんど言わない。病気の子どものケアで困っていることを具体的にいろいろ話したのに、誰も何もアドバイスしてくれない、必要な情報も示してくれない、ただ、みんな黙って聞いているだけだというのでは、親はがっかりしてしまうだろう。

 逆に、コメントやアドバイスどころか、「良かった」とか、「感動しました」とか、そういうプラスの方向の感想さえ言ってはいけないという自助グループもある。いったいなぜなのか、どうして、そこまで「言いっぱなし、聞きっぱなし」にこだわるのかと聞いてみると、なるほど、そういうことなのかと納得できる説明を聞いたことがある。

 その自助グループでは、メンバーは、その成育歴から自分にどうしても自信が持てないのだそうだ。だから、人から褒められたいという気持ちが、ひと一倍強い。自助グループにおいて、誰かが誰かの話が「良かった」と言っているのを耳にすると、自分もそう言われたい、いや、言われなければいけないと思うようになる。そして、自分より前に言われた話には「良かった」という感想があったのに、自分には無かった、また、そういうコメントが少なかったとなると、自分の話は良くなかったのだと、ひどく落胆してしまう。あるいは「良かった」と言ってもらうためには、何を話せばいいのかと逆に考えてしまい、ありのままの自分を出せなくなるというのである。

 自死遺族の自助グループの場合は、どうだろう。私がみるかぎり、さきほど書いた、難病の子どもの親の会ほど互いにアドバイスや情報を求めているとは思えないし、また「生育歴から自分に自信がもてない」といった似たような性格のかたが集まっている会でもなく、「良かったという感想すら言ってはいけない」というわけでもない。その中間ぐらいという感じだろうか。

 深い悲しみにどう向かい合うかということは、人それぞれだから、いろいろ周りからアドバイスをもらってもあまり役にたたないこともあるだろうが、一方で、いじめや不動産、借金の問題など、法的な対処で具体的な情報や制度の紹介が必要になることもある。だから「言いっぱなし、聞きっぱなし」の原則は、使うべきところもあるが、使えないところもあるということだろう。

 ところで、「言いっぱなし、聞きっぱなし」という言葉を最初に私が聞いたとき、上手な翻訳だなと思った。自助グループという考え方は、日本では英語圏から入ってきた。なので「言いっぱなし、聞きっぱなし」も何かの英語の翻訳なのだろう。

 では、原語は何だろうと考えたが、英語圏で、自助グループのあり方に圧倒的に影響を与えたのが、アルコホーリクス・アノニマスというアルコール依存症者のグループである。そこで、これに近い言葉は何かと考えると、それはおそらく「クロス・トーク(cross-talk)の禁止」ということだと思う。

 クロス・トークとは、トーク(話し)がクロス(交叉)することで、手元の辞書をひくと「電話での混線」のことだとあるが、他にも対話とか、言い合いとかの意味もあるようだ。しかし、自助グループでのクロス・トークとは[ii]、誰かが話し終わらないうちに、求められもしないアドバイスをしたり、「それはダメだ」と批判したりすることだという。

 だいたい、静かに聞いてくれるだけでいいと思っているのに、長々と相手の意見を一方的に言われたり、「上から目線」の、的がはずれたような励ましや慰めを言われて不愉快な気持ちになったという経験は、誰にでもあるのではないか。それを禁じているのである。わかちあいの基本は、互いに、静かに傾聴するということだという当たり前のことをここでは言っているのである。

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[i] AA関東甲信越セントラルオフィス, n.d.

[ii] Wilk & Erkern, 2021を参考にした。

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