すすめかたの工夫4:クールダウンの時間をもつ
自死遺族の自助グループの特徴のひとつは「クールダウン」という時間を持っていることだろう。私がこれまでかかわってきた自助グループ、たとえば、身体障害、精神障害、アルコール依存症、難病、吃音、不登校、ひきこもり等のグループで「クールダウン」の時間を持つなど聞いたことがない。
クールダウンのある集まりは、進行順に3つの部分に分かれる。最初は、全体のオリエンテーションとして「ここで聴いたことは外に出さないようにしてください」といった約束事[i]を伝え、そして自己紹介[ii]をうながす。この部分は、自死遺族支援者の間では、クールダウンの反対の言葉として「ウォーミングアップ」と呼ぶ人もいる[iii]。そして第2の部分が、わかちあいの時間となる。日常生活では話さないような深い語りが出てくる。大泣きする人もいるだろう。感情が嵐のように荒れることもある。そのままでは部屋から出ても涙が止まらないかもしれない。だから、その気持ちを鎮める時間を最後にもってくる。この第3の部分が、このクールダウンと呼ばれ、遺族の気持ちが日常に戻っていく時間となる。
クールダウンという言葉をネットで調べるとすぐにわかることだが、もともとはスポーツなど身体の運動に関連する用語なのである。十分に準備運動(ウォーミングアップ)をしないと、運動をしたときに怪我をする危険性が出てくる。また激しい運動のあとは整理運動(クールダウン)をしないと疲労が残る。わかちあいに、感情の激しい動きを認めるからこその比喩的表現なのだろう。
クールダウンの時間をもつ理由は、ある自助グループのメンバーによると「分かち合いが終わって、そのまま帰られてから落ち込まれるという方が結構い」[iv]たので、「喫茶店などに場を移して、クールダウンというか雑談の場を小一時間くらいも」ivつようにした。それは「分かち合いというのは特殊な時間と空間ですので、[クールダウンという]フリートークの時間に日常に戻っていただくという意味」[v]があったのだという。
精神保健福祉センターなどで行政が主催する自死遺族の会では、クールダウンの時間が持たれることは稀だそうだ。それは、そうだろう。保健師などの公務員が、勤務時間中に喫茶店に行って雑談をするということは、職務規定上できないからだ。そのため、遺族は自分の体験談を話したあと、あるいは他の遺族の話を聴いて思い出したあと、なおも激しく打つ心臓の鼓動を感じながらも、ひとり部屋を出ることになる[vi]。もちろん体験が話し合われた同じ部屋で「クールダウン」を行うこともできないことはないだろうが、場所を変えないで気持ちを切り替えるのは容易ではないだろう。
私は遺族ではないので、自死遺族のわかちあいの場に参加したことはない。しかし、公開されている集まりで、遺族がその体験を語るのを聴くことは何度もあった。そのなかで私と同じようにそれを聴いていた他の遺族が「(さっきの話は)わかちあいみたいになっていましたね」と、他の遺族にささやくのを耳にしたことがある。わかちあいで聴くぐらいの話になっていて「それくらい良かった」という意味なのかと最初は思ったが、そうではなかった。「あれは良くなかった」というのである。
なぜ良くないのだろう。公の場で、深い遺族の心情を話してくれたら、その理解が広がるから良いのではないかと考えたのだが、やはり遺族には聴くのが辛かったようだ。わかちあいの場なら前後にウォーミングアップがあってクールダウンがある。準備運動も何もしないで、いきなり全力で走ると身体に悪いように、心の準備もないままに、生々しい体験を聴くことは、遺族には心理的負担が大きすぎるのである。
このあたりも遺族ではない私には想像もできないことだった。クールダウンの必要性も、私には考えられないほど自死遺族は痛感しているのである。
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