すすめかたの工夫3:亡き人との関係で分ける

 

自死遺族の自助グループのわかちあいでは、人数が十分なら、亡き人との関係で分けることが多い。亡き人との主な関係は、前にも書いたように[i]、親、子、配偶者、兄弟姉妹と4通りある。ただし、この4つに分けることができるほど、人が集まることはそれほど多くない。私が自助グループのかかわりで出会った人の多い順に並べれば、子を喪った親、次に配偶者を喪った人、そして親を喪った子、最後に他と比べて数が少ないのが、兄弟姉妹を亡くした人である。

 この関係性による遺族の割合は、グループによって違う。それは、似た立場にある人は集まりやすいからかもしれない。たとえば、そこに子を喪った親が多ければ、やはり同じ経験をしている親は共感してもらいやすいと思うだろう。逆に、配偶者を喪った人は、そのグループに誰も同じ立場の人がいなければ、居心地の悪さを感じるかもしれない[ii]。だから自助グループでも、いろいろな立場の遺族が参加しているほうが、あとあと参加する人数が増える可能性があるといえる。

 興味深いことに、自助グループと違って支援グループ[iii]では、立場によって遺族をグループ分けすることは少ないという。その理由は想像に難くない。支援グループでは、遺族ではない人が加わるなかで、遺族は自分の体験を語る。遺族ではない人を前にしているのだから、「遺族であること」だけが大きな特徴となり、子を喪ったか、配偶者を喪ったかという違いは、相対的に小さくなる。わざわざ誰を喪ったかによってグループを分ける必要性がわかりにくくなるのである。また、別のところですでに述べたがiii、支援グループでは、「支援する人」と「支援される人」の区別がある。グループを、さらに小グループに分けることは、それでなくても少ない「支援する人」をさらに分けることになる。それを避けるという意味でも、支援グループでは、小グループに分けることが少ないのだろう。

 ただ自助グループにおいても、いつも亡くなった人との関係性でグループを分けていると、どうしても同じ人とばかり少人数で話すことになる。同じ自助グループに集いながらも、一度もその話を聴いたことがない人が出てきて、せっかく同じ場にいるのに残念だということで、ときおり亡くなった人との関係性に関係なく、バラバラにして小グループを作ることもあるという。

 異なる立場の遺族とわかちあうことは、新たな気づきを与えてくれる。たとえば、配偶者を亡くした女性が、父を亡くした遺族の話を聴くことは、自分の子どもが父を喪ってどのような思いにあるのかを知るきっかけになる。ある遺族のかたがおっしゃっていたが、家族の自死のあとは、残された家族の関係がとても悪くなり、自死についての互いの思いを語ることもなかったり、語ることを避けたりするそうだ。そのような場合、異なる立場の遺族の体験に耳を傾けることによって、自分の残された家族への理解が深まる可能性がある。

 さらにグループを小グループに分ける必要性として、遺族が遺族の話を長く聴き続けることの難しさも、よく言われる。つまり、大きなグループであれば、順番に話していくことになるから、一方的に他の遺族の話を聴くのが長くなる。自分の話が何もできずに、ずっと他の遺族の体験を聴くことは、それだけ自分自身の辛かったことを思い出すことになり、感情的に耐えられなくなるという。

 ここでは、わかちあいの集まりを小グループに分けることを書いたが、集まる人がそもそも少なく、分けるほどの人数がいない場合も多いだろう。そのような場合も、立場の違いによって孤立しがちな人がいることに注意したほうが良いと思われる。

 

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[i]  すすめかたの工夫2:最初に自己紹介を

[ii]  異なる関係性にある遺族が共感しあうことの難しさについては「自助グループのなりたちの基本的要素1:体験の共通性」で記した。

[iii]  支援グループ

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