遺された者どうし

 

「亡き人とともに生きる」ことが、遺族の自助グループが探っていくことではないかと遺族のかたに言ったら、「家族のなかで、遺された者どうし生きていくこともたいへん」という答えが戻ってきた。「いじめや過労自死であれば、亡き人を追い詰めた相手がいて、そこに気持ちをぶつけられる。しかし、それが無い場合は、怒りや悔しさをどこに向けたらいいのかわからない。そうすると自分を責めたり、家族のなかの誰かを責めたりしてしまう」というのである。

 「そもそも私が生まれてこなかったら、母は死なずにすんだのではないか。」「私と出会わなければ、夫は生きていたのではないか。」「もし、私が新しい仕事を始めなければ、あの子は一人になることはなく、まだここで笑っているのではないか。」「もし、あのとき気づいていれば、声をかけていれば、こんなことにならなかったのでは」と、考え続ければ、きりがない。答えてくれるはずの人がもう亡くなっているので、「もし」という仮定の問いは無限に続き、どこまでも自分を責めてしまう。自分をいくら責めていても、周りからその様子はわからないから止めてくれる人もいない。自分の足下に穴を掘り続けたら、いつの間にか、もう自力で出られなくなるほど深くなってしまっている。焦って這い上がろうとしたら、周りの土が崩れてきて埋まってしまうということもあるだろう。

 答えが無い問いなので、自分を責めつくしたあとは、あるいは自分を責めるとともに、遺った周りの家族に刃(やいば)は向けられる。「なぜ死んだのは、あの子であり、あなたではなかったのか。あなたが死ねば良かったのに!」と言ってしまったら、「そうだなぁ。オレが死ねば良かったのにな」と夫が静かに答えたという話を、遺族のかたから何度か聞いたことがある。誰かが代わりに死んでいたら誰かが生きるという話ではないので、もともとこんな言葉に意味はなく、ただ遺された家族が傷つくだけなのである。それも十分にわかっているのに、どこにも出せない思いを出せるのが家族だけだから吐き出してしまう。自由に話せる自助グループがあれば、そこで気持ちも少しは出せるのにと思う。

 ただ生き残っている私たち自身、自分のすること、したことについて、ひとつひとつ、その原因をはっきり言えることは少ないのではないかと思う。「なぜ、そうしたのですか」と聞かれたとき、とってつけたような理由を話したことはないだろうか。質問されたとき、その相手によって話す理由を変えたりしていないだろうか。それは嘘をついているのではなく、もともとはっきりとした理由がないので、あるいは理由が多すぎて、どれを言っても当てはまるような気がして、あるいはどれを言っても違うような気がして、相手の満足するように、あるいは相手を慰めるように、気にいらない相手であれば、その人をがっかりさせるように理由を適当に選んで言っているだけではないか。とすれば、もしも本当の霊媒師がいて、亡くなった人の霊を呼び出し、自死した理由を聞こうとしても、亡くなった人は困ってしまうだけかもしれない。

 自死というような重要な、それこそ一生に一度しかできない決断をするからには、よほど深刻で、明確な理由があったに違いないと遺された家族は考えてしまうのかもしれない。しかし、それだけ重要な決断だからこそ、いくつもの理由が重なっていて,何か大きな一つの理由があったわけでもないのかもしれない。そもそも冷静に原因をあれこれと分析して自死に至るものではないのかもしれない。

 こうやって「かもしれない、かもしれない」という無限の可能性があって、愛する人がなぜ死を選んでしまったのかという問いは、遺された家族に永遠につきまとうことになるのだろう。

 別の見方をすれば、亡き人が語らないのは、遺った人たちに全面的にすべてを任せているからかもしれない。生きている人との対話なら、こちらが言うことを肯定されても、否定されても、そこで終わる。こちらが好き勝手なことを言っていれば、抑えられる。対話の相手が生きているかぎり、形は決まってくる。

 亡き人との対話は、その意味では終わらない。私たちが変わることによって、私たちの語りかけも変わる。亡き人からの声は、自らの思い出のなかから探るしかないから、大きく変わっていくのである。

 たとえていえば、一本の縄は、両端が結ばれていれば、それはどんなに揺れたとしても姿かたちは、それほど変わらない。しかし、その縄も、一端が結ばれていないのなら縄の形は無限に変わる。小さな石のように固まることもあれば、燃える炎のように広がることもある。静かな波のようにしなやかに伸びることもある。

 遺された家族は、自らを責めず、また互いに傷づけあうことなく、どのように亡き人とと語り合い続けるのか。それを遺族の自助グループは、わかちあうことによって、それぞれの答えを見つけようとしているのだろう。

2024

目次に

 

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