遺族が生き方を作りあげていく

 

遺言が残された言葉であり、遺産が残された財産なら、遺族とは残された家族ということだ。遺産が自分で残った財産ではないように、遺族は、自分で残ったわけではない。つまり「遺族」は、その言葉の意味だけを探れば、どこにも主体性がない。遺族が何を望み、何を目指そうとしているのか、それは何もわからない。亡くなった人によって残されたという受け身の事実だけが表現されている。

 遺族が、遺族ではない人々によって使われる言葉だと私が言ったのは、そういう意味だ。つまり遺族という言葉は、遺族が何をする人なのか、どういう人なのかには、全く沈黙したままなのである。

 詩人は、詩を詠む人だろう。歌手とは、歌を唄う人である。走者とは走る人のことだ。そのように考えると、遺族は残された者であるだけで、そこから何をするのかわからない。いってみれば、遺族には性格がない。もちろん遺族の個々人には性格があるが、遺族と呼ばれる人々の全体に共通の性格があるかというと、それは考えられていない。

 逆に言えば、それは遺族の自助グループにとってはチャンスなのである。遺族の性格が白紙ならば、これから色をつけることができる。遺族とは何かを、自助グル−プは描くことができる。社会に向かって遺族が声をあげるとは、そういうことだと思う。

 「遺族として生きる」ことを選んだ人が、自助グループに集うのだと別のところで書いた[i]。多くの人にとっては「遺族として生きる」のは、たとえば葬儀の前後の短い間だけで、もちろんその後も亡き人を思い出すことはあるが、それは親しい人たちと会話のなかか、それとも全くの私的な思いのなかで振り返るくらいだろう。

 だから「遺族として生きる」ことは、この社会、少なくとも現代の日本においては例外的な生き方といっていい。そういう意味で、遺族の自助グループに集う人々は少数者である。少数者であるかぎり、社会からの偏見や差別に備えなければならない。

 しかし「遺族として生きる」ことは、簡単なことではない。まず、例外的な生き方は、たいていそうであるが、周囲の人からは認められないことが多い。なぜいつまでも亡くなった人を思い続けるのかと責められることもあるだろう。

 「ひたすら努力して成功する」「辛いことをがまんして、やり遂げる」。そういった生き方は、世間でも認められる。映画でも、小説でも、テレビドラマでも、どこにでもあるストーリーだ。それに対して「ずっと亡くなった人を思い続ける」という生き方はどうかというと、これは何か暗い陰がある秘密めいた人物として、少し登場するだけではないだろうか。おそらく主人公になることも極めて稀だろう。

 言い換えれば、「ずっと亡くなった人を思い続ける」というとき、モデルがないのである。周りに、そういう生き方をしている人は、少なくともいまの日本では、非常に少ないはずである。だから、そういう生き方をしたいと思った遺族も、不安になる。「亡くなった子のことをいつまでも考えていて何もしていない。これでは良くないのではないか。」「私は、どこかおかしいのではないか。精神的に病んでいるのではないか。」そんなふうに自分の生き方に疑いを持ち始める。

 そんな疑念に合わせたように「本来時間の経過とともに進行する悲嘆(喪)のプロセスがなんらかの要因によって滞ってしまった状態[ii]を「複雑性悲嘆」と呼ぶ専門家が現れる。遺族もその声を聞くと、「ずっと亡くなった人を思い続ける」生き方が、病的なもののように思えてしまう。これが孤立した遺族の危ないところだ。

 前にも書いたように[iii]、遺族という言葉は、遺族ではない人たちのためにある。孤立した遺族は、遺族ではない人々によって「遺族はこうあるべきだ」という枠を一方的にはめられていく。「悲嘆回復プロセス論[iv]」は、その典型だろう。「死別はとても辛い。しかし、ある程度の時間がたてば、その辛さも克服し、前向きに考えなければいけない」という考え方を、遺族ではない人々が(善意から発したものかもしれないが)遺族に押しつけてくるのである。

 冒頭に述べたように、遺族が「残された家族」という意味ならば、そこには「残された」という受け身の状態だけで、本人の意思などはどこにも反映されていない。だからこそ、遺族ではない人が容易に「遺族はこうであるべき」という価値観や行動の基準を当てはめていく。

 孤立した遺族が、自助グループに集い、自分たちの生き方を作り上げていく必然性は、ここにある。

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[i] 遺族として生きる

[ii] 中島(2014), p. 58

[iii] 遺族という言葉は、遺族ではない人たちのためにある

[iv] 悲嘆回復プロセス論は間違っている

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