悲しみばかりではない(上)

 

田中さんと最初に出会ったとき、繰り返すようだが、悲嘆回復プロセス論がいかに間違っているかを聞かされた[i]。だから私は、自死遺族の自助グループは、遺族の悲しみを中心にして動いているのだと思っていた。そして自死遺族の自助グループの考えを「悲しみは愛しさ」「悲しみとともに生きる」「悲しみは私たちのもの」という3つに集約して考えた[ii]

 しかし、これはグリーフワークへの対抗策として考えたもので、自死遺族の自助グループが取り組む課題は、こうした悲しみだけではないことに、しだいに気づきはじめた。時岡(2016)は、ひとりの自死遺族に長いインタビューを試みているが、そこで以下のような言葉を得ている。

思うことは、人が人と死に別れた時の感情の中で「悲しい」とか「さみしい」っていうのはほんの一部ですよ。そこらへんが(筆者などの)浅はかなところっていうか(苦笑)。人が死んだら悲しいだろう、さみしいだろうしか想像がつかないところが、たぶん「無理解」につながってくるわけですよね . . . (p. 35) [iii]

自死遺族の気持ちを「悲しい」とか「さみしい」とまとめてしまうのは「浅はか」だという。自死遺族の気持ちは、自死遺族になってみなければわからない。これは自助グループに集う人たちが声をそろえていうことであり、そうであればこそ、遺族ではない人を排除した形で「わかちあい」が行われている。自死遺族の気持ちは自死遺族にしかわからない、だから自死遺族ではない人には詳しくは語られず、「悲しい」という言葉でまとめられてしまっているとも考えられる。つまり自死遺族には遺族にしかわからない複雑でいろいろな感情がまじっているのだが、それをいちいち細かく説明したところで外の人には伝わらない。だから「悲しい」と、とりあえず表現している。いわば、ここで言葉の節約が行われているわけだ。

 しかし、もし遺族を支援する専門家と自称する人々が、そのような言葉の節約を真に受けて、自死遺族といえば「悲しみ」であり、その「悲しみ」には「グリーフケア」と考えるのなら、上の遺族の言葉を借りるなら「浅はか」と言われても仕方が無いだろう。

 では、悲しみの他にどのような感情があるのだろう。感情は「心理学では . . . 幸福、驚き、恐れ、嫌悪、怒り、悲しみの6つが人間に共通の特徴だと考えられ基本感情とよばれている」[iv]。悲しみ以外の感情で、私が遺族の方と接していて感じるのは、怒りと嫌悪が結びついた憎しみだろうか。たとえば、この文章の冒頭で言及した田中さんにインタビューした杉山(2016)は、以下のように書いた。長くなるが、引用したい。

(田中さんの長男の自死の)四カ月後、仙台市内で自死予防に関わるシンポジウムがあり、(田中さんは)出かけた。壇上には、政府関係の研究者、グリーフケアの専門家、自死遺族支援を行う民間団体などが並んでいた。質問の時間、胸の内を聞いて欲しくて座席から声を発した。

「でも、誰も私のもとに降りてきてくれませんでした」

彼らの話は、修羅の中にいた田中さんの思いとは別次元だった。

息子の嫁への殺意が消えない。もちろん、人殺しがいけないことだと十分にわかっている。それでも、激しい憎しみはそこにある。苦しくて仕方がなかった。わかったような言葉をかけられると体中に痛みが走る。. . .

身近な者の自死によって押し寄せる感情、出来事は、時に社会規範の中に収まらない。うかつに表出すればあってはならないものと断罪され、辱めを受ける。だが、厳然とその感情も出来事もそこにある。それでもなお、社会の中に着地できる支援が必要だ。そのノウハウを支援者が持っているように思えなかった。[v]

ここに書かれているのは、強烈な憎しみだ。「毎日柳葉包丁を研いだ。殺意すらあった」[vi]という。その憎しみが、反社会的行動につながらないために田中さんは「藍の会」という自助グループを立ち上げた。「藍の会を立ち上げたのは殺人者にならないためでした」[vii]と言っていた。

 このような強い憎悪は、田中さんだけではない。母を自死で亡くした(郁雄という)男性は、別居中の父の家に刃物をもって行く。

郁雄自身、母親の自死を確信するようになり、最初に覚えたのは怒りだった。話を聞きつけた父親が暴言を吐いた時が最悪だった。

電話口で(父親である)和雄は言った。

「一緒にいながら何だ! お前が(母親を)殺したようなもんだぞ!」

郁雄は頭の中が真っ白になった。子供時代から父親に対して抱いていた恨みが一挙に爆発し、気がつくと家から庖丁を持ち出し、和雄の家の前に車で駆けつけていた。

「中から . . . 赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、ハッと庖丁見たんです。『俺、何やろうとしてんだろ?』って。ええ、危なかったですよ」[viii]

 この二つの引用は、どちらもルポライターが書いたルポから取ったものである。自死遺族が自ら書いた文章のなかに、ここまで強い憎しみの具体的な描写は「加害者及びその家族に対して殺意の気持ちを、今も持ち続けています」[ix]との一行だけの告白を除いては、私は見つけられなかった。おそらくそれは、上記の引用文にもあるように、殺意は「社会規範の中に収まらない。うかつに表出すればあってはならないものと断罪され」[x]るものだからだろう。

 

2167

目次に戻る

 



[i] 「悲嘆回復プロセス論は間違っている」

[ii] Oka, 2013

[iii] 時岡, 2016 引用文中の( )は時岡による。

[iv] , 2018, p. 4.

[v] 杉山, 2016, pp. 198-199. 引用文中の( )は岡による。

[vi] 杉山, 2016, pp. 197.

[vii] 杉山, 2016, pp. 198.

[viii] 足立, 2002, p. 228. 引用文中の( )は岡による。

[ix] 全国自死遺族連絡会, 2012, p. 219

[x] 杉山, 2016, p. 199.

inserted by FC2 system