遺族として生きることを学ぶ

 

遺族の自助グループとは、遺族として生きようとする人たちが、その生き方を学び合う場ではないだろうか。遺族としてどうやって生きるか、毎日をどうすごすか。遺族として自分に与えられた人生をどう歩んでいくのか。そんな問いに答えてくれる教科書なんてどこにもないから同じ遺族どうし集まり、話し合い、わかちあい、互いの生き方から学び合って自分の生き方を探し出し、身につけていくのである。

 一つの遺族の生き方を、自助グループは「お手本」のように示すわけではない。そんなことをしたら悲嘆回復プロセス論を提唱している専門家と同じ過ちを犯してしまうことになる。

人にはそれぞれの人生があるように、遺族にもまた、それぞれの人生がある。親を亡くした、子を亡くした、配偶者を亡くしたという亡くなった人による違いだけではない。若い人もいるし、年取った人もいる。仕事を中心にして生きてきた人もいれば、趣味を楽しみにして生きてきた人もいる。家族との語らいを何よりも重視してきた人もいるだろう。遺族になる前から、ひとそれぞれかなり違った人生をおくってきた。だからこそ遺族になったとたん、みんな似たりよったりの人生になるはずがないのである。

では、遺族としてどう生きていくのか。決まった生き方があるわけではなく「自分らしく遺族として生きていけばいい」と思ったところで、そこには具体的なイメージがなく、雲をつかむような話だろう。遺族として生きるために必要なことは、おそらく同じく遺族として生きていこうとしている人、しかも多くの人に出会い、少しずつ自分で遺族として生きていくという感覚をつかむことだと思う。つまり、自分と似たような状況にあり、似たような人生を歩んできた人と出会うことによって、自分との違いを確認しつつ、自分に似合う遺族としての生き方を手探りするように求め、自分のものとしていくのである。

「感覚をつかむ」ということで言えば、私は20代はじめのころ、ソーシャルワーカーとして働いていて、保育園の園長先生から「最近の若い親はね、赤ちゃんの抱き方も知らないんですよ」と教えられて驚いた経験がある。赤ちゃんなんて誰でも抱いているし、抱くことができるし、それを知らないとは、どういうことなのか全く理解できなかった。

ところが、実際に自分に子どもがさずかると、とんでもない抱き方をしていると妻に叱られてしまう。「首がすわっていないんだから!」と言われても何のことかわからない。あとで不適切な抱き方は、乳幼児の命にもかかわることになると知り、冷や汗が出た。20代のときに保育園の園長先生から聞いたことはこれだったのかと初めて気がついた。

なぜ自分には赤ん坊の抱き方もわからなかったかを考えてみると、それまで赤ん坊の世話などしたことがなかったのである。親戚づきあいがほとんどない私には身近に赤ん坊もいなかった。だから赤ん坊はいわば空想上の存在で、抱くなんて簡単なことだろうと思っていた(正確にいえば、それについて考えることすらなかった)のだが、実際に、その場になってみると自分には何もわかっていなかった、いや何もわかっていなかったことすらわかっていなかったことに気がついた。

遺族として生きることも、それに似ている思う。遺族と呼ばれる人に会うのは、多くの人にとっては葬儀の場だけではないだろうか。そして葬儀の場で遺族といろいろ話すのは、親しかった人に限られるだろう。たいていの人は、お悔やみの言葉をいえば、あとは沈黙になる。そして葬儀のあとの忌引きが終われば、出会った冒頭に儀礼的なねぎらいの言葉をかけて、それで以前の日常の会話に戻る。葬儀のときに遺族だった人は、もう遺族ではなくなる。内心はどうあれ、亡き人を思っていることなど顔に出さなくなる。どこにも書いてあるわけではないが、それが私たちの社会では一般的な常識のようになっている。だから自分は「遺族として生きる」という人が、たとえ私たちの周りにいても、その人たちの姿は見えない。遺族だと名のるわけでもなく、亡くなった人のことを語るわけでもないからである。

つまり「遺族として生きる」と自死遺族が決意しても、ふつうは周りに誰も遺族としてはいない。多くの人にとって「遺族」とは、葬儀の場面で一時的に与えられる名称でしかない。愛する人が亡くなって何年もたつのに自分自身を遺族として語ることは、いまの日本の社会では「ふつう」ではない。いや、世界の多くの社会でも「ふつう」ではないだろう。

「悲嘆が半年あるいは1年以上続くと正常ではない」と書いた論文を私は批判的に取り上げたが[i]、これは専門家の判断の間違いというより、もともと何年にもわたって遺族であり続けることが「ふつう」ではない社会においては、そういう診断をせざるをえないということなのかもしれない。

たとえば、一日24時間、朝起きてから寝るまで食事をしながらも、トイレで用を足しながらも、大事な人と大事な話をするときも、ただひたすら自分の手の平を一心に見つめる人がいたら、それは「病気」だとされても仕方がないかもしれない。しかし、スマホがある現代の日本社会では、その手の平にスマホがありさえすれば、それは「病気」だとはされない。

要するに、何が「病気」なのか、何が「ふつう」なのかは、そのときの社会のありかたで決まってくるのである。とすれば、遺族が「病気」と見なされずに、心穏やかに遺族であり続けるためには、この社会を変えていく必要がある。「社会を変えていく」というと大げさなようだが、人々のものの考え方を少し変えていくように働きかければいいのである。 

2318

目次に戻る

 



[i] 悲しみは病気ではない

inserted by FC2 system