自助グループはコミュニティである

 

 遺族として生きる人たちは、自助グループに集い、悲しみをわかちあう。ただ、それが何年も続くと、それを「病気」や「異常」と見る専門家がいる。たとえば一般には専門家が行う自死遺族支援のグループでは、遺族の「卒業」が大事だと考えられている。この場合の「卒業」とは「十分な経験を経て(グループへの)参加の必要がなくなる」ことである[i]

 では、グループを卒業しなければ「病気」なのだろうか。これは、ひとつの「生き方」に共感し、それを選んだ人々が自主的に集まる自助グループと、治療や支援を必要とする人々が集う支援グループとで違う。支援グループにいつまでもいることは、依存であり望ましいことではない[ii]。支援グループでは、集まる人々は「お客さん」なのだから、いくら居心地がいいからといっていつまでも居続けられたら「家」の主人は疲れてしまう。ある程度、休めたら、次に安らぎを必要とする人に場所をゆずるべきだろう。つまり「卒業」が求められるのである。

 それに対して自助グループでは、遺族は「お客さん」ではない。遺族がグループを運営している。最初に来た日から、わかちあいのために机を動かしたり、お茶を運んだりすることを頼まれるかもしれない。そこでは誰もが遺族なのだから、誰も特別扱いはしない。集まりのなかで誰かが突然泣いたとしても、それは遺族にはよくあることだから誰も驚かないし、あわてて誰かが対応することもない。それは自然なこととして時間が流れていくだけだ。だからこそ自助グループは居心地がいいと感じる遺族はいっぱいいる。「お客さん」なら、いつも帰るタイミングを考えていなければいけないが、そんな心配もない。

 私は遺族ではないので、遺族の自助グループの「わかちあい」の場には出たことがないし、入ることもできない。しかし自助グループのそれ以外の場には、ときどきおじゃましている。グループによっては、夜中まで賑やかな酒盛りだ。二次会はカラオケで得意の喉を披露する人もいる。アハハ、アハハと、大きな笑い声があちこちから聞こえてくるから、これが自死遺族の集まりだとは信じられない人もいるだろう。

 しかしこれはコミュニティなのだから、そういう場面があって当然なのだ[iii]。治療の場であれば、もちろん酒など飲めるはずがない。何時間も特に決まった目的もなくグループのメンバーと飲んだり食べたりしつづけるなど、忙しい治療者にはとうてい無理な話だ。心理治療の場なら心の問題だけが取り上げられるのだろうが、ともに生きる仲間が集うコミュニティでは、なんでも話し合う。遺族がかかえがちな法律の問題、学校の問題、地域の問題と、その範囲には限りがない。

 コミュニティには「卒業」はない。コミュニティは、ともに生きていく場であるからだ。「遺族として生きる」ことは易しいことではない。しかし同じ生き方をする仲間とのつながりがあれば、前に進む力が出てくる。「悲しみとともに生きる」とは、言葉でいうことは簡単だが、体験している人でないと本当の意味はわからないと遺族は考えている。山を一人で登るのはたいへんだが、仲間がいれば、声をかけあうことができる。誰もが自分の足で登らなければいけない。仲間が背負ってくれるわけではない。そういう意味で自助グループのコミュニティでは、誰もが自立している。だから何年グループにいようとも、それは依存ではないし、病気でもないのである。

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[i] 川野(2005, p. 152)は「自死遺族支援に取り組む民間グループ」19団体を調査し「ほとんどのグループが、遺族がやがて『卒業』していくことが重要であると認識していた」としている。ここでいう「民間グループ」には自助グループと専門家が主催する支援グループの双方が含まれているが、「スタッフが当事者」であることが重要ではないとするグループが6割を超えているため、その大半が支援グループと考えてよいだろう。

[ii] 非当事者として自死遺族支援に取り組んできた清水は、支援グループの目的について以下のように述べている。

そこから巣立っていく、自分の足で歩いていくことが目的だと思います。ですから、卒業を前提とした集まりであるべきだろう、と思います。一時的に依存的な関係はあるかもしれないけど、それをよしとして続けていくような価値観をもつのはやめよう、あくまでも自立していくことをサポートすることが目的である、と思っています。(自死遺族ケア団体全国ネット, 2005, p. 28

[iii] 死生学では自助グループを「グループセラピー」と同一視しているところがある(たとえば秋山(2000))が、自助グループの研究者の間では自助グループすなわち「セルフヘルプグループを治療や処遇の一形式とはみなさず、ボランタリーな組織としてみる」ことが一般的である(岡・Borkman, 2000, p. 720

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