「悲嘆回復プロセス論は間違っている」

 

そもそも私が自死遺族について考え始めたのは、2008年の晩夏、自死遺族の自助グループ運動の先覚者である田中幸子さんと出会ったことに始まる。田中さんからは、私の小著[i]を読んだこと、それで「助け」が欲しいという手紙を受け取っていた。最初のお手紙がいつ届いたのかは記憶が定かではない。筆ペンで書かれた大きな字が印象的で切実な内容だったが、自死や遺族の問題は、当時の私の研究とはかなり距離があり、私ではとうてい力にはなれないと思っていた。また電子メールに慣れた私には、郵便の返事はとても重荷で、多忙なこともあって返事も書けなかった。

 そのうち2通目が届いた。びっくりして、短い、その上そっけない返信を書いたように思う。そして3通目が届き、さすがに申し訳なくなり、お会いすることにした。しかしそれでも私は、この分野では何もできないだろうと思い、一度きりのご縁になるだろうと考えていた。

 私の勤務先のすぐそばの駅前で待ち合わせをした。私にはなんとなく田中さんが和服姿で現れるような気がしていた。それまでいただいた手紙が、いずれも和紙に書かれてあったため「和風」というイメージがあったのかもしれない。なので、洋服に身をつつみ、少し早口で、どちらかというと快活に話される田中さんの初対面の印象は、意外だった。田中さんに寄り添うように歩いていた男性は、大きな鞄をもっていて、やはり笑顔でフットワークが軽そうな印象を受けたので、「この(鞄の)中は(取材用のテレビ)カメラですか?」と、私は冗談半分で聞いてみた。田中さんから事前に送られてきた新聞記事の印象があり、田中さんの記事を書いているジャーナリストなのかと思ったのである。あとで一人娘を自死で亡くされたお父さんなのだと知って驚いた。

 その日は、研究室で三時間ほど、お二人のお話しを聞き、やはり私にはできない仕事だと思った。その理由としては、お二人は「悲嘆回復プロセス論[ii]は間違っている」「グリーフケアは遺族を傷つける」と繰り返しおっしゃるのだが、それは臨床心理学か精神医学の問題であって、私の専門である社会福祉の問題ではない。悲嘆回復プロセス論が正しいか、間違っているかなどという議論は、私には理解の範囲を超えている。「では、そういう問題に関心をもっている研究者をネットか何かで探してみましょう」という約束をして、その日は終わったように思う。

 後日、私は、いろんな日本語のデータベースを使って「悲嘆回復プロセス論」に否定的な研究者や研究論文を探した。日本語という限定で探したのは、お二人の次の訪問先、この点について自死遺族のグループと協力して研究を進めていくことができる日本の研究者を探したかったからである。

 数日後、私はそういう条件に当てはまりそうな研究論文と研究者の連絡先を見つけて、お二人に送った。しかし「ちょっとパッとしないねえ」という否定的な反応しか返ってこなかった。お二人は「悲嘆回復プロセス論が科学的に見て正しいか、正しくないか」という問題には関心がなかったようだ。遺族として実感として、それは「正しくない」と確信していたからである。

 それはなぜなのだろう。どうして、そこまで「悲しみは段階を経て癒されていく」という考えに否定的なのだろう。グリーフケアという「ケア」が、遺族を傷つけているというのは、どういうことなのだろう。私の疑問は、そこから始まったのである。

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[i] (1999)

[ii] ここでいう「悲嘆回復プロセス論」とは「最初の死別のショックから徐々に回復し、再び社会的な生活に復帰するという、段階的な変化が想定されている」(小高, 2008, p.197)考え方であり、そこでは「その段階の順序やそれに要する時間などは個人による違いがある」(小高, 2008, p.197)ということが必ず追加的に述べられる。Kübler-Ross & Kessler (=2007)の第1章「悲嘆の五段階」に詳しく述べられたものが代表的なもので、それによると悲嘆は否認・怒り・取引・抑うつ・受容という五段階のプロセスを経る。平山(2011)は自死遺族の悲嘆も同様の五段階(「パニック期」「苦悶期」「抑うつ期」「現実検討(ママ)識や洞察が出てくる時期」「立ち直り期」)を経るとする。そして私が田中さんと初めて出会ったころは「わが国では、平山の悲嘆のプロセスが実際の臨床に即した内容となっている」とされていた(山田ほか, 2009, p. 1078。その他、自死遺族に限らないが、悲嘆のプロセス論としては、わが国では「デーケン(Deeken A)の12段階モデル」が「最もよく知られる理論」とされている高橋, 2012, p. 13Deeken12段階モデルについてはDeeken (1996a, 2章:遣される者の悲しみ:悲嘆のプロセス)に詳しい。ただしDeekenKübler-Rossの五段階に一段階を追加した六段階モデルも提示している(Deeken, 2001, pp. 8-12)

ただ、ここでいう「悲嘆回復プロセス論」は、もう古く、専門家は用いていないという指摘がある(三輪(2010)または「グリーフケアのありがちな間違い」を参照)。(2012)は、この悲嘆回復プロセス論にはすでに多くの批判がなされているとし、それを以下の6点にまとめている。 

@調査によって回復に効果があることが確認できないこと。Aグリーフワークとその他の病理的な思慕や反舞とを明確に区別することができないため、適応的か否かを判断することが困難なこと。Bグリーフワークの背景にある心理的メカニズムが分かっていないため、グリーフワークが効果的か否かの原因が不明であること。C無理に感情を表出させることが良い結果をもたらさらず、逆に悲嘆感情を抑えることがよい結果をもたらす場合があること。D故人との鮮を断ち切るのではなく、逆に保ち続けることが良い結果をもたらすことがあること。E文化差や個人差を無視していること。P. 148.

このような批判はあっても、実際には使われ、また実践可能な理論として紹介されている。たとえば、手塚ら(2012)は、新しいモデルも旧来のモデルを「部分的に援用あるいは追試するものである」(p. 74)とし「フロイトが提唱した『喪の作業』段階」(p. 71)6段階にして自死遺族相談に用いている。佐久間(2019)は「愛する人を亡くすか、あるいは、それを予期しなければならない立場に立たされた人は、必ずといっていいほど、『悲嘆のプロセス』と呼ばれる一連の心の働きを経験させられる」(p. 143)としてDeeken12段階モデルを詳しく紹介している。精神科医の香山(2012)は、文献注が一切ない一般向けの書籍のなかで、同様の段階モデルを紹介し、以下のように述べている。

こういったいくつかのステップは、どんな場合でも順番に起きるものであり、省略することはできない。しかし、すべての段階をきちんと踏まえていくことができれば、ほとんどの場合で、誰でもきちんと最終的な回復の段階にまでたどり着くことができるはず、とも言われている。. . . それには、それなりの時間もかかるし、各段階ごとの苦しさや心の痛みも相当なものだ。それでも、悲しむときにはきちんと悲しみ、怒るときにはきちんと怒れば、心はひとりでに立ち直れないとさえ思ったほどの喪失や傷つきからも、少しずつ立ち直っていく。P. 72

 

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